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2019.09.13
骨董品

野口光彦【工芸作家/人形作家】

野口光彦(のぐちみつひこ)

 

野口光彦は、1896年に東京日本橋に生まれました。

 

人形師の父・清雲斎に師事し

 

やがて三世清雲斎を継承します。

 

32歳の時には佐久間珖甫らとともに

 

新しい人形の研究を目的にした「五芸会」を結成。

 

また、1933年にはアマチュア、専門家が集まり

 

日本人形の向上、普及、

 

作家の社会的地位の向上を掲げた「日本人形研究会」

 

が設立されたのを機に評議員となり、

 

その講義や講習会などを行いながら

 

掘柳女、鹿児島寿蔵、野口三四呂らとともに

 

「甲戌会」も結成し新しい人形研究に没頭しました。

 

そして、野口が40歳の時に開催された新帝展に

 

『村童』を出品すると初入選を果たします。

 

その後ベルギー国際人形展に『富士雛』を出品

 

翌年には第1回文展で『砂丘で遊ぶ子供』が

 

特選を獲得しました。

 

また、翌年の第2回文展『弓を持てる子供』

 

第5回文展の『歓喜童児』が

 

宮内省の買い上げ作品となります。

 

以降もサンフランシスコやニューヨークの

 

万国博覧会に『鈴を持てる子供』、

 

紀元2600年奉祝展では『八咫島童児』、

 

全日本工芸美術展では『麦風』、

 

第1回東京工芸綜合展では『村童』、

 

第2回東京工芸綜合展で『丘上に起てる子』、

 

興亜造形文化展では『歓喜』などを出品し

 

積極的に活動を行っています。

 

戦後においては、日展を中心に出展を続け

 

審査員なども務めて、日本伝統工芸監査員や

 

現代人形美術展審査員、博多人形展審査員なども

 

歴任しました。

 

著書に『一寸法師』などがあります。

 

 

 

野口光彦の作品の特徴と技法

 

野口光彦は、祖父の代からの人形師を継承しており

 

京都御所人形の伝統に加えて、

 

写実的な表現の作風を確立しました。

 

中でも特に、幼児を溌剌とした造形で表現する手法を

 

得意としています。

 

 

 

野口光彦の評価される所以

 

野口光彦は日本人形の研究、普及、発展を目的に

 

「五芸会」、「甲戌会」を結成するなど、

 

その活動に尽力しました。

 

平田郷陽や掘柳女、鹿児島寿などと比肩され

 

近代日本の創始者とまで言われ、

 

海外にもその名声は広まりました。

 

その品格の高い日本人形は芸術品として

 

現在でも高い評価を得ています。