赤松麟作(あかまつりんさく)
赤松麟作は1878年10月に岡山県津山で生まれました。
幼いころに大阪に移り住み、
その後は父の始めた看板屋の手伝いをしたことで
絵に強い興味を持っていきます。
そして10代中ごろに、洋画家で
大阪朝日新聞社で挿絵も手掛けていた
山内愚僊(ぐせん)と知り合うと、
住み込みで絵を学ぶようになりました。
18歳の頃には東京美術学校西洋画科選科に入り
在学中は外光派で知られている
黒田清輝などから指導を受けていきます。
また卒業後も研究科にて勉学は続けていきました。
1902年には白馬会展で発表した『夜汽車』により
白馬会賞を獲得したことで名が知れ渡り
20代半ば頃からは大阪朝日新聞社に入り
挿絵を手掛けます。
並行して自身の制作活動も行い、
文部省美術展覧会の場でも『迷子』を発表して
初入選となるなど活躍を続けました。
やがて1915年、大阪朝日新聞社を辞めたのちには
光風会の会員となっています。
なお後進の指導も積極的で
画家として注目される前となる1900年には
三重県第一中学校教員として務めていたり、
1920年には大阪梅田にて赤松洋画研究所を開き
佐伯祐三などを育てています。
また1936年には関西女子美術学校の教授
1945年には大阪市立美術研究所で教授として務め
1948年、70歳の時には大阪府から
知事文芸賞を授かりました。
そして1953年11月、75歳で息を引き取っています。
作風
赤松麟作は黒田清輝から学んだ
自然光による明るい色彩感覚で、
堅実に風景画や植物や人物画も描いています。
また情緒感漂う雰囲気も、赤松麟作の持ち味です。
特に取り上げられやすいのが
初期代表作である『夜汽車』で、
東京から三重に向かって走る
電車内の様子を描いた内容です。
目覚めたばかりの女性や空を見ようとする老人など
様々な人物の描写画でもあり、三重県へ
教師として向かう際の様子を元に描いている、
と言われています。
油絵以外でも優れた作品を残しています
油絵以外でも大阪三十六景の木版画の連作、
ペンによる水彩画などで優れた作品を残しています。
その中でも『四ツ橋から』は
懐かしさの感じられる雰囲気で、
戦争前の大阪を描いています。
なおその風景は、赤松洋画研究所の門下生と共に
写生をした場所が元となっています。
懐かしい気持ちにさせる赤松麟作の作品
赤松麟作は自身の経験したことを、
懐かしむ気持ちも込めて描いた作家である
と言えるかも知れません。
見た人は描いている風景や植物などに
思い入れが無くても、
自身の経験とリンクして懐かしい気分になる方も
少なくはないのではないでしょうか。
なお故郷の津山市にて、
赤松麟作の作品が展示されたカンダミュージアムが
2009年から開館しています。
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