40歳で陶芸の道を歩み始めた藤原啓。
ここではその歩みを備前焼の由来や
技法などを交えながら紹介していきます。
藤原啓は1899年
岡山県備前市穂浪にて生まれました。
人間国宝となる陶磁器家は
実家が窯元であるのことが比較的多いのに対し、
藤原啓の場合は農業を営む家庭に育ちました。
また藤原啓は元々作家志望で
俳句で賞を獲ったり出版社の編集に関わったりしますが
途中でその道を断念しています。
藤原は40歳となった1939年に故郷に戻り
弟の勧めで三村梅景から
備前焼を教わることとなります。
また2年後の1941年には金重陶陽の指導を受けたり
そのほか北大路魯山人と言った面々からも教わります。
1970年に重要無形文化財保持者として
人間国宝に認定され
その後1983年11月に肝臓ガンで亡くなりました。
鎌倉・室町次第の備前焼をベースにしています。
藤原啓の作品の特徴は
鎌倉備前を基本としながらも素朴でたくましく
そして大らかで温かみのある所です。
藤原啓自身は自身の作品を
「たくましく育った田舎娘」と称しているようですが
藤原啓の人柄がそのまま現れているようだ
というのがもっぱらの評判です。
また師となる金重陶陽は
桃山時代の作品の再現を追求しているのですが
藤原啓の場合は鎌倉・室町次第の古備前が
作品作りのベースになっているようです。
よって前述したような作風が生まれ
作品は「藤原備前」とも称されています。
備前焼は日本六古窯の一つで
釉薬を使わず焼成した時の状況が
ダイレクトに出る焼き物として知られています。
1200度以上の薪窯の中で粘土中の金属成分や
松割木の灰、藁などが複雑に混じり合い
素朴ながらも様々な表情が生まれます。
備前焼の作家はもちろん意図を込めて
それらの事を考えて作品作りに取り掛かりますが
予期しない結果が生まれることもあり
それも魅力の一つとして数えられます。
備前焼は元々、岡山県瀬戸内市にて
古墳時代から続く須恵器をベースにしています。
須恵器と同じ青灰色と
最初は須恵器の影響を色濃く受け継いでいました。
ですが南北朝時代の後半になると
赤褐色のものに変わりました。
またその備前焼に
岩絵具や胡粉などで色付けしたものを
彩色備前と言うのですが
藩を治める人達への贈り物だったことから
当時の一般の人は見る事はありませんでした。
ちなみに桃山時代以前のものは「古備前」。
江戸時代からのものは「伊部焼」とも言われています。
金重陶陽はその備前焼の新作を現代に作った事により
人間国宝として認定されますが
藤原啓もまた違う時代の備前焼を
復活させた事になります。
そして備前焼において
藤原啓は金重陶陽に続いて
2番目の人間国宝となります。
元々作家志望立った事から
備前焼作家として遅い始まりとなった藤原啓。
しかし備前焼にも以前の夢と同じように
情熱を注いだ事から
人間国宝にまでなったのは何か勇気を頂けます。
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