蓮田修吾郎は1915年に石川県金沢市で生まれました。
幼少期から芸術の分野に興味を示していたと言う蓮田は
1928年に石川県立工業学校図案絵画科に入り、
卒業の記念作として出展した『藤下遊鹿』によって
御大典記念奨学資金賞を獲得します。
やがて18歳で東京美術学校工芸科鋳金部に入り
新しい鋳金の作品を考えていた蓮田修吾郎は、
工芸新人社を設立しました。
また卒業後は、鋳金技術の基礎を受け継ぎなから
革新的な作品を発表してきた
高村豊周の下で学び始めます。
しかし、1938年に無事卒業したのもつかの間、
その翌年には戦争に駆り出され
本格的な制作に移るのは7年後となりました。
その後、44歳の時には『野牛とニンフ』で
日展文部大臣賞を受賞。
1962年に発表した『森の鳴動』は、
日本芸術院賞を受賞するなどして
蓮田修吾郎の名を広く轟かせます。
以降、東京芸術大学の教授や
日本金属造形研究所の立ち上げに携わり
1991年、76歳の時に文化勲章を受章しました。
蓮田修吾郎の作品の特徴は、
道具としての機能を廃し純粋な立体作品として
鋳金創りに目を向けた所にあります。
その為金属と言う固定観念に縛られず
彫刻作品や絵画のような見方で捉え
そう言った考えのもと日本現代工芸美術協会や
創作工芸協会の活動に参加しています。
また、1955年の日本美術展覧会において発表した
鋳銅浮彫作品の『仁王の印象』や
青銅方壺の『方容』は、日本政府購入となるという
名誉を頂いています。
なお『方容』は、まさに彫刻作品の造形美や
絵画的風景を感じさせる作品と指摘されています。
銅と錫が合わさったもので、加工のし安さから
古くは造幣に使われています。
蓮田修吾郎は深くドイツと関わりのある人物として
知られています。
『仁王の印象』は西ドイツ首相に献上されたり
1965年には、蓮田修吾郎自身も
ベルリン芸術祭使節として派遣されています。
また1978年に金属造型作家展を立ち上げた事で
ドイツの立体作品の芸術家と交流を持つ事になり
それがきっかけで1982年に
ドイツ連邦共和国功労勲章一等功労十字章を
頂いています。
日本の技術が遠く海外の国に認められたと言う事実は
当時の人々に強く歓迎されたに違いありません。