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掛け軸・絵画
2020/03/05

菱田春草【日本画家】

菱田春草(ひしだしゅんそう)

 

菱田春草(本名:三男治)1911年に

 

長野県飯田市(当時は筑摩県飯田町)で生まれました。

 

1889年に上京すると、

 

狩野派で『矢矧橋』や『飲中八仙』が知られている

 

結城正明が開く画塾に入り、

 

その翌年には東京美術学校普通科でも学び始め

 

そこでは内国絵画共進会での出品経験がある

 

橋本雅邦から学びます。

 

また幼い頃から才能に注目されてきており

 

東京美術学校内においても

 

その能力は認められますが、卒業制作発表の

 

『寡婦と孤児』では物議を醸し出します。

 

校長として務めている岡倉天心により

 

その作品は認められ、学校を追われた岡倉天心が

 

1898年に立ち上げた日本美術院に正会員として参加。

 

1903年には横山大観と共にインドへ渡り

 

半年間の旅を経た後も

 

アメリカや欧州地方などを旅します。

 

1907年には文部省美術展覧会において活躍し

 

『落葉』や『黒き猫』などで名を馳せますが

 

病気にかかっていたため

 

36歳の時に倒れてしまいます。

 

・「寡婦と孤児」が論争を生んだ理由について

 

『寡婦と孤児』は戦争による

 

悲惨な状況を描いた作品でした。

 

発表当時は日清戦争の時期でもあり

 

下関条約によって日本が勝利する形となりました。

 

 

 

作風

 

菱田春草は常に新しい日本画の形を

 

模索してきた人物として知られています。

 

また多彩な作風でも知られており

 

『黒き猫』のように猫を描いた作品群も有名です。

 

また『寡婦と孤児』に限らず

 

時には問題作と言われる作品も発表し

 

20代の頃には

 

輪郭線を敢えて取っ払った朦朧体の技法が

 

多大な批判を浴びる結果となりました。

 

諸外国を周った後は作風が変化し

 

また朦朧体の特徴を受け継ぎながら

 

色鮮やかな色彩について意識が向き

 

さらに金泥や銀泥を使った琳派的な技法もとり入れ

 

背景を極力取っ払うようになってきたことも

 

知られています。

 

 

 

真摯に向き合ってきた菱田春草

 

菱田春草は他に大和絵の技法を駆使したり

 

朦朧体ではなく輪郭のハッキリした作品も

 

発表しています。

 

また多彩な技法を駆使すると言うことは

 

それだけ菱田春草に十二分な基礎画力が

 

備わっていると言えますし、問題作を描かずとも

 

注目されてきた所に、菱田春草の凄みを感じます。

 

そして自身の能力や注目度に対して

 

甘んじていなかった点に

 

菱田春草の真摯さが伝わります。

 

 

 

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