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2019.10.18
ブランド品

糸園和三郎【洋画家】

糸園和三郎(いとぞのわさぶろう)

 

糸園和三郎は19118月に大分県中津町にて

 

呉服商の子供として生まれます。

 

幼い頃に病気にかかったことが原因で

 

小学校からの進学が出来なくなり、その後16歳の時に

 

父の薦めから川端画学校に入りました。

 

それから2年後には協会展での前田寛治の作品に

 

感銘を受けたのがきっかけで、

 

前田寛治が開く写実研究所に入ります。

 

なお糸園和三郎自身も1930年に協会展で

 

『人物』を出品し、同年の春陽会展では

 

『赤い百合』と『上井草』が入選しました。

 

翌年からは6年間独立展に作品を出し続け、

 

独立美術研究所内の仲間である

 

『大和路』や『薪能』などが知られている山本正。

 

『トレドの道』や『船』が知られている高松甚二郎。

 

塚原清一と共に四軌会を立ち上げます。

 

また1943年には新人画会を立ち上げるなど

 

積極的な作品展開を行ってきますが、1945年の空襲で

 

殆どの作品が消失してしまいました。

 

その後1953年の日本国際美術展において

 

『叫ぶ子』を出品。

 

1957年の同展では『鳥の壁』が佳作賞を受賞と

 

日本国際美術展でも活躍を見せます。

 

さらに1968年には第8回現代日本美術展において

 

『黄いろい水』や『黒い水』を出品し、

 

『黄いろい水』でK氏賞を受賞。

 

また晩年は視力の衰えと闘いながら

 

日本大学芸術学部の教壇に立ち、

 

後進の育成にも尽力しました。

 

そして2001年、89歳でこの世を去っています。

 

 

 

作風

 

糸園和三郎は1931年に独立展で

 

活躍を見せ始めた時期から、

 

シュルレアリズムを前面に打ち出した作品を

 

発表しています。

 

シュルレアリズムとは超現実主義とも呼ばれ、

 

合理的や論理的ではない、無意識なものを

 

作品に現す手法です。

 

その為夢を見ているかのような、人間の心理状態が

 

ダイレクトに反映されるとも言い換えられます。

 

糸園和三郎の場合は自身の頭の中に思い浮かんだ風景を

 

長い間温めてそれを作品上で現す手段を取っています。

 

そうすることでシュルレアリズムと言われる

 

作品にもなり、その絵からは温かみも感じられます。

 

なお代表的モチーフの一つとしては、

 

1960年代の後半から発表した

 

ベトナム戦争をテーマにした作品群があります。

 

 

 

関連用語の解説

 

■春陽会

 

1922年に仲間内で立ち上げ、主義や主張を

 

表立って言う事がないものとして結成されました。

 

■独立美術協会

 

「今までの団体とは違う、新しい美術を立ち上げる」事を

 

狙いに、1930年に協会展を中心に

 

他の団体との垣根を超えて結成しました。

 

■新人画会

 

1943年4月に結成。

 

多くの美術画家が戦争高揚の為の絵を描かされる中

 

表現の自由を守るために立ち上げました。

 

結成した画家の一人の寺田政明が

 

「絵がある事で人間として活動できる」と言う旨の

 

発言を残しています。

 

 

 

描きたいものを表現し続けられた糸園和三郎

 

春陽会は主義や主張を表立って言う事が

 

ないものとして結成されたのに対し、

 

戦時中の新人画会では表現の制限に抵抗しよう

 

と言う部分に考えせられる所があります。

 

しかし戦争に負けることがなく

 

表現し続けられたことは

 

1953年の第2回日本国際美術展での

 

作品出展以降の活躍からも分かります。