米光光正は1888年に熊本県熊本市で生まれました。
15歳の頃、熊本高等小学校を卒業すると
肥後金工の神吉家の叔父・田辺吉太郎の下で
修行を積み、また肥後象嵌で知られた
祖父の田辺保平にも師事した事で、
江戸時代に日本刀の鐔の装飾技法として始まった
肥後象嵌の技術を学んでいきます。
その後40代になると独立を果たし
肥後象嵌・透や錆付け仕上げの技術が認められ
1965年、73歳の時に
人間国宝として認定されました。
そして1980年、92歳でこの世を去っています。
代表作としては、鉄地丸形破扇桜紋散象嵌鐔や
鉄地丸形四ツ蕨ヲ透桐唐草象嵌鐔などがあります。
象嵌は元々、刀鐔や鉄砲に鉄地と金銀銅を
合わせたものを、当て込む技術として
知られています。
肥後象嵌の場合は、熊本城を築いた加藤清正と
その後の代、熊本を収めた細川忠興によって
続いていきました。
目立たず品の良さをしっかりと感じさせる
肥後象嵌の技術は
1876年に発付された廃刀令によって
刀剣の装飾だけでなく、花瓶や装飾品に
使われるようになりました。
肥後象嵌・透は、地を磨いた後に
下絵描きから行います。
他にも肥後象嵌は、金銀の重量感を出す為に
布目を手切りにし、地鉄には塗料を使わない
などといった工夫がなされています。
神吉家は江戸時代前期に
金工職人として名を馳せた林又七から続いています。
神吉家は初代を寿平正忠としていますが、
藩主の命令によって林家に入った事で、
細川家に仕える形となりました。
肥後象嵌はやはり熊本県(当時は肥後)を中心に栄え
林家の他には西垣家や志水家、平田家などがいます。
刀の鐔は、廃刀令が施行されて
長い年月が経った日本において
影の薄い存在と思われます。
また米光光正が人間国宝として認定されて以来
長らく鐔で人間国宝として認定された人物は
現れていないと指摘する方もいます。
米光光正は肥後象嵌の修業と並行して絵画や書道
さらに生け花についても学んでいきました。
よってその修業の中で
生け花に欠かせない道具でもある花瓶や、
装飾品に転移した肥後象嵌の使われ方について
考えていたと思われます。
しかし、米光光正は結果的に
刀の鐔を作り続けました。
高橋貞次や大隅俊平らが現代刀匠として
人間国宝に認定された事を考えても
米光光正以外の刀の鐔を作る職人も
人間国宝に認定されるべきと言った考えには
納得がいきます。
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