お役立ち情報
骨董品
2019/01/24

竹内栖鳳【帝室技芸員/絵画】

竹内栖鳳(たけうちせいほう)

 

日本画家の竹内栖鳳は1864年、

 

京都市の川魚料理屋の子として生まれました。

 

13歳の頃から四条派の土田英林に絵を習い

 

17歳になると円山・四条派の幸野楳嶺に入門しています。

 

竹内栖鳳は入塾して直ぐに頭角を現し

 

翌年には塾の工芸長となり、やがて菊池芳文、

 

都路華香、谷口香嶠らと共に

 

「楳嶺四天王」と呼ばれ筆頭格となりました。

 

23歳のときには結婚を機に独立し

 

2年後には京都府画学校に就いて

 

若手画家として活躍しています。

 

その後、日本絵画協会や新古美術会などに作品を出品し

 

1891年に菊池芳文、山元春挙らと共に

 

青年画家懇親会を創設しました。

 

29歳のときにはシカゴ万国博覧会に出品し

 

35歳になると京都市立美術工芸学校の

 

教諭となっています。

 

そして、1900年のパリ万国博覧会では

 

「雪中燥雀」を出品し銀牌を受賞しました。

 

この時に7ヶ月間ヨーロッパを巡り

 

ターナー、コローなどから大きな影響を受けています。

 

1907年には、文展が開設され審査員となりました。

 

これらの功績が認められ、

 

1913年、49歳のときに帝室技芸員に任命されています。

 

その後も帝国美術院会員や、

 

京都市絵画専門学校の開設に伴い教授となるなど

 

要職を歴任しています。

 

また、60歳を過ぎてからも

 

フランスのレジオンドヌール勲章や

 

ハンガリー最高美術賞およびドイツのゲーテ名誉賞、

 

73歳の頃には第1回文化勲章を受章するなど、

 

積極的な創作活動を行いました。

 

 

 

竹内栖鳳の作品の特徴と技法

 

竹内栖鳳の作品は四条派を踏襲していますが

 

他派の筆法や西洋の写実的技法をも画に加えるなど、

 

日本画において新しい画風を作りあげました。

 

しかし、それは単に写実的に描くというだけでなく

 

絵画として筆線を変化させたりしながら

 

竹内栖鳳独自のデフォルメ的な表現も盛り込んでいます。

 

また竹内栖鳳は伝統的な定型モチーフやその描写法、

 

画壇の古い慣習を形式的に継承することに

 

否定的でもありました。

 

西洋的な空間設計を日本画の中に見事に入れ込む

 

竹内栖鳳の構成力は卓越したものであり

 

それまでの伝統と異なる技法を見事に織り込むことで

 

新たな画風を確立しています。

 

 

 

竹内栖鳳の評価される所以

 

竹内栖鳳は日本画の近代化に

 

大きな功績を残した画家であり、その原体験は

 

明治期に西欧遊学を経験した事が大きく影響しています。

 

その経験を踏まえて四条派の原理を基に

 

写生、写意を重視する作風を新たに築き上げました。

 

竹内栖鳳の元にはたくさんの弟子が集まり、

 

弟子たちはその後活躍し、その画壇に与えた影響は

 

極めて大きいと言えます。

 

 

 

一覧に戻る

このカテゴリの最近のお役立ち情報

片づけ始める前にご相談ください

賢い遺品整理・蔵整理

眠っている品物に思わぬ価値がある場合があります。

遺品整理業者・リサイクル業者は、骨董美術品類に高額をつけることはできません。

さらに処分費もかかります。無料査定・買取で賢い遺品整理・蔵整理をお勧めいたします。

  • KURAYAにご相談ください

    • どのように物が売れるのか知りたい
    • 骨董品などの遺品整理に困っている

    買取専門店KURAYAは,骨董品,金・プラチナ、ブランド品、ブランド時計、ダイヤモンド、切手、古銭、勲章、日本刀・鎧兜、掛け軸・絵画、版画、おもちゃ・ノベルティ、 高級食器、珊瑚、翡翠・鼈甲・琥珀、カメラ、鉄道模型,、着物・小物、鉄瓶・茶道具 ,墨・書道具など確かな目で高額買取いたします。

    買取専門店くらやは、新しいもの・古いもの、どんなお品も対象に鑑定する買取専門店としてオープンいたしました。貴金属・ブランド品買取をはじめとし、 古物・切手の買取・骨董品の買取に力をいれております。 ご自宅に眠っている貴金属・ブランド品・骨董品などはございませんか?古物・貴金属・ブランド品などを整理したい方、 現金が必要な方、お引越しで荷物を整理したい方、遺品整理、古い蔵を取り壊して中身を処分したい方など、様々なお客様からご利用いただいております。

査定・買取依頼する
簡易WEB査定