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百武兼行(ひゃくたけかねゆき)は1842年6月、佐賀藩に仕える藩士の家に生まれました。その後10歳になる前には佐賀藩最後の藩主・鍋島直大の相手役として務め、生涯に渡って親交を持ちました。この間には鍋島直大の父の側近を勤めていた、国学者の古川松根より書画や日本・中国の学問について教えを受けたと言われています。
やがて役人として活躍するようになると、1871年に岩倉具視が率いる岩倉遣欧使節団に同行。アメリカとイギリス視察に鍋島直大と共に参加し、オックスフォード大学で経済学を学びました。この訪問中、一時期は佐賀で起こった反乱の鎮静のために帰国しますが、鎮圧後は再び渡英しています。
イギリスに戻った百武兼行は、鍋島直大の妻の胤子の絵画制作の勉強に付き添い、そこで自身も洋画について学ぶこととなりました。当時30代前半であり、この時はじめて洋画を学んだと言われていますが、翌年にはイギリスの国立美術学校の展覧会に出品した作品が入選。絵の才能を現すと、鍋島直大から薦められたこともきっかけとなり、より腕を磨くため、そのままヨーロッパに留まることとなります。滞在中は官学派のフランス人画家、レオン・ボナや美術学校で教授を務めていたチェーザレ・マッカリなどから学び、1882年に帰国しました。
帰国後は農商務省商工局の次長としても務めますが、まもなく1884年、42歳の若さで息を引き取っています。
百武兼行は外交官として務めていた事もあってか、日本の画壇との強い繋がりはありませんが、油彩画の本場で得た高い技術を駆使した作品に特徴があります。
特に陰影が強調されたような重厚な立体感と肌の柔和性には、ヨーロッパで学んだ技術が活かされていると言われ、明治前半の洋画において強い存在感を放っています。
百武兼行は、他の佐賀県出身の近代画家の礎となっている人物でもあります。
外光派の影響と優美な女性像で知られている佐賀県出身の画家・岡田三郎助は、幼少の頃に鍋島直大の家にて百武兼行の絵を見たことで、絵に強い興味を持つこととなりました。岡田三郎助はその後、多くの後進の指導をし、1934年には帝室技芸員となっています。
また洋画壇の重鎮としても活躍する小代為重も佐賀県出身で、百武兼行から絵を学びました。
代表作
1879年に発表した『マンドリンを持つ少女』(佐賀県立博物館が所蔵)。
1881年発表の『臥裸婦』(石橋財団石橋美術館が所蔵)などがあります。
■鍋島直大(なべしまなおひろ)
1846年生まれの佐賀藩主及び藩知事です。なお東京で生まれました。
佐賀藩主となったのは1861年であり、フランスの万国博にて有田焼を出品したり、戊辰戦争においても活躍するなどしていきます。
■レオン・ボナ(レオン・ジョゼフ・フロランタン・ボナ)
1833年のフランスにて生まれた画家です。1900年にはパリの万国博覧会絵画の審査員として務めるなど華々しい活躍をしていますが、社交界において肖像画でも名を馳せています。
古典主義をベースとしたスペイン・バロックの表現に支持されていますが、コレクターとしての一面もあり、作品はボナ美術館に所蔵されています。
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