白井雨山(しらいうざん)
白井雨山(本名:保次郎)は1864年3月に
愛媛県宇和町で生まれました。
また実家は米屋を営んでおり
比較的裕福な家庭で育ちました。
その後1881年に宇和島南予中学に入ると
松尾馬城から南画について教わっていきます。
それから3年後に地元の教師となり
翌年に教師を続けながら上京。
洋画家で『羽衣天女図』が知られており
のちに造園の方でも注目を集めた本田錦吉郎や
日本画家で花鳥画が有名な渡辺省亭、
同じく日本画家で四条派の望月玉泉から
指導を受けました。
やがて1889年には
創設された東京美術学校の一期生として入り
彫刻を学び優秀な成績を修めます。
30代半ばからは東京美術学校の助教授を務め
塑像科の立ち上げに参加しました。
・塑像科の立ち上げについて
白井雨山自身は日本が彫刻について
遅れを取っていることに
危機感を抱いていたようです。
それについて何度も意見を出したことで
塑像科が創られ、オーギュスト・ロダンを中心とする
西洋彫刻を取り入れ発展した日本の彫刻は
白井雨山の功績も大きい事が考えられます。
愛媛県出身の他の彫刻家
・乗松巌(のりまついわお)
1910年5月に生まれました。
代表作としては『自由』や
『恐怖の均衡』などがあります。
また1944年に二科会会員となり
欧州地方やアメリカ、アフリカ大陸の古代から
近代に至るまでの美術について研究し
現地にも渡っています。
女子美術大学で後進の指導を務めるほか
1994年に若手の芸術家を育てる目的として
乗松巖記念館も設けています。
・伊藤五百亀(いとういおき)
1918年5月に生まれました。
写実性をベースとした男性像が知られています。
代表作としては『鍬の戦士』や『潮先』、
『崖』などがあります。
多摩帝国美術学校彫刻科にて学び
吉田三郎から教えを受け、
伊藤五百亀の立ち上げた白日会にも参加。
日本美術展覧会の場でも活躍をしており
理事も務めています。
白井雨山の作品と功績
最も見やすい白井雨山の作品としては
愛媛県の雨山公園内の『神武天皇立像』があります。
とは言え白井雨山の作品を見れることは
希少のようですが、白井雨山も
代表的な彫刻家の一人であるのは違いありません。
なお白井雨山の像を、官展の三羽烏の一人である
彫刻家の建畠大夢が1929年に制作しています。
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