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2018.08.30
骨董品

田村耕一【人間国宝/鉄絵】

田村耕一(たむらこういち)

 

栃木県佐野市生まれの田村耕一は

 

東京美術学校工芸家を卒業すると

 

28歳から京都において

 

輸出の為の陶磁器のデザインを手がけます。

 

この間に田村は富本憲吉に師事し

 

陶磁器への考えや工芸観を改め

 

その約2年後には故郷で赤見窯を創り出しました。

 

作陶生活に入った田村は、薪窯や登り窯を構え

 

鉄絵において独自の技法を用いて

 

様々な作品を生み出します。

 

その後は栃木県芸術祭での芸術祭賞受賞や

 

栃木県窯業指導所の技官などにも従事したのち

 

35歳からは自宅で製陶活動に没頭しました。

 

富本憲吉に直接指導を仰いだその経験は

 

田村耕一のその後の製陶活動に

 

多大な影響を及ぼしています。

 

そのため田村は世に出て活躍した後も

 

富本を変わらず師と仰ぎ続けました。

 

やがて日本陶磁協会賞や

 

イスタンブールで開催された国際陶芸展でも

 

グランプリ金賞を受賞し、これらの功績が評価され

 

田村は65歳の時に紫綬褒章を受章しています。

 

また、その3年後には

 

重要無形文化財保持者に認定されました。

 

 

 

【田村耕一の作品の特徴と技法】

 

田村耕一の作品の特徴である鉄絵とは

 

酸化鉄を用いて文様を表現する加飾技法です。

 

着色させる鉄分の含有量や

 

焼成する際の焔の性質によって

 

黄褐色や茶褐色、黒色など

 

その発色は様々に変化します。

 

田村耕一の初期の作品は

 

黄褐色や黒色の2種類の鉄釉が多く用いられました。

 

さらに筒描、蝋抜きによる草花文様の作品も

 

好評を得ています。

 

その後も豪質な筆使いの刷毛目を用いて鉄絵を描き

 

銅彩を織り交ぜ多彩な文様を生み出しました。

 

また、青磁釉を使って文様に深みを加えるなど

 

鉄絵をベースにしながら、様々な技法を用いて

 

多彩で独特な表現方法を編み出していき、

 

陶芸における芸術性を高めています。

 

田村は伝統的な技法も大切にしながら

 

独自の技術も使って自身の世界を築き上げていき

 

揺るぎない地位を手にしました。

 

 

 

【田村耕一の評価される所以】

 

田村耕一の作品は、伝統的な技法を使いながらも

 

独自の新しい表現方法を

 

作品に投影していったことが高く評価されています。

 

特に、後期の田村耕一の作品は

 

白泥や青磁の上に絵付けする技法などを用いて

 

美しく華麗な作品を生み出しました。

 

椿やぶどうなど、日々の生活の中にある

 

身近かな題材を軽快に描き

 

庶民にも愛される作品を作り続けています。

 

また、その鉄絵は一貫して創作活動の中心となっており

 

そのほか鉄釉、辰砂釉など青磁釉も多く扱いながらも

 

様々な作品の中心には常に鉄絵に重きが置かれていました。

 

その絵付けは国内海外に限らず、高い評価を得ています。