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2020.12.10
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猪原大華とは【経歴/作品/評価/日本画家】

猪原大華の生い立ちは?

猪原大華(いのはらたいか)は、1897年に広島県で生まれました。18歳の時には既に絵に強い興味を持っており、中学を退学後、画家になる為に大阪に移ります。大阪では、日本画家の金島桂華を知り、その後21歳の頃に京都市立絵画専門学校に進学。在学中には、第3回帝国美術院展覧会で発表した『郡鷄』が初入選を獲得し、また翌年の同展でも作品『七面鳥』を発表するなど、制作活動や発表を積極的に行っていきました。

1923年に同校を卒業と同時に研究科へ入り、日本画家でありながら西洋美術についても研究した土田麦僊の新しい考え方に強い興味を覚え、弟子入り。1929年になる頃には研究科を退学していますが、同校には嘱託教員として勤務しています。以降は京都市立美術工芸学校工芸科の嘱託教員や、土田麦僊の死を受けて西村五雲の画塾に参加するなどし、40歳になる頃には京都市立美術工芸学校工芸科の正教諭として務めるなど、後進の指導を積極的に行っていきました。また、まもなく西村五雲が亡くなっていますが、元々交流のある山口華楊や五雲塾の元・塾員たちと共に晨鳥社を立ち上げるなどしたほか、戦争を経ても制作活動は続けています。

70代となってから日本美術展覧会において発表した『浄池』は内閣総理大臣賞を獲得。第6回改組日本美術展覧会では出品作『若い松』が勲三等瑞宝章を授かるなど、晩年まで活躍を続けました。

そして1980年、82歳で息を引き取っています。

 

 

 

猪原大華の作品の特徴は?

猪原大華は京都画壇の系譜を受け継いだ、繊細な花鳥画を描いている所に特徴があります。とは言えその作風も変化が現れるようになり、写実的なものから奥深い風情があるような心象的なものになっていきました。

また装飾的ながらも大胆なタッチでもあると言う、独自の作品世界を展開していったのも特徴の一つです。

 

 

 

猪原大華の作品や活動の価値は?

猪原大華の作品の評価は戦後時期のものに語られる事が多いです。戦後は価値観が大きく変わる時代で、その中で京都画壇としても伝統を踏まえながらも、新たな画風を求めるようになっていきました。

猪原大華の入念な自然観察で生まれる、大胆な作品作りは歓迎され、写実的と言う範疇をも超えた現代花鳥画として評価されています。また猪原大華自身は作品を発表し続けながらも、後進の指導を行ってきた事で京都画壇を支えたと言う評価もなされています。

 

代表作

 

1948年発表の第4回日本美術展覧会での『蓮池』。

1964年発表の第7回新日本美術展覧会で発表の『白梅』(広島県立美術館が所蔵)などがあります。

 

 

 

各ワード紹介

■晨鳥社(しんちょうしゃ)

西村五雲が亡くなったのを受けての対応と言う側面が強かったものの、新たに精神の柱にすると言う事で結成。前田萩邨や西村卓三もメンバーとしています。

 

■金島桂華(かなしまけいか)

1892年生まれで猪原大華と同じ広島出身です。京都画壇の系譜を受け継ぎ強い装飾性のある花鳥画が持ち味です。

 

■土田麦僊(つちだばくせん)

国画創作協会を立ち上げたり、フランス政府からレジョン・ドヌール・シュバリエ勲章を授かっている活躍を見せました。

大和絵と現代的な西洋画を合わせた作風で、また「舞妓の麦僊」とも呼ばれています。

 

■西村五雲(にしむらごうん)

後進の指導を務めるほか、帝展審査員や帝国美術院会員も行っています。躍動感溢れるかつ穏やかな空気感のある動物画や花鳥画が特徴です。