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掛け軸・絵画
2020/04/02

狩野雅信【日本画家】

狩野雅信(かのうただのぶ)

 

狩野雅信は18233月に生まれました。

 

なお父は、狩野派最後の大家と呼ばれる

 

狩野晴川院養信として知られており、

 

狩野雅信は長男でもあったため

 

父から教えを受けています。

 

その後20歳を過ぎた頃にその父と一緒に

 

火災で失われた江戸城本丸御殿障壁画の制作に関わり

 

1846年に狩野家を受け継ぎ10代目となりました。

 

1861年には法印となり、また徳川家慶や

 

次代の家茂に厚く気に入られていましたが、

 

明治維新の際には暇を申し付けられ

 

平民となっています。

 

しかしその後も日本画家として活躍し

 

壁画の制作や各種博覧会に携わるなどして

 

政府の仕事を受けていました。

 

やがて18808月、この世を去っています。

 

狩野芳崖や橋本雅邦と言った弟子がいますが

 

木挽町狩野家としては

 

最後の人物としても知られています。

 

・法印とは

 

略称で正式には法印大和尚位となります。

 

諸大寺の管理や運営を行う

 

僧綱の僧正にあたる僧位で、

 

最も高い位となります。

 

一方で、僧以外の医師や儒者、仏師や画家などに

 

授けられる称号でもあります。

 

 

 

木挽町狩野家について

 

狩野派の中橋や木挽町、鍛冶橋や

 

浜町の四家からなる奥絵師の中の一つです。

 

なお狩野派とは当時、席巻していた

 

幕府お抱えの絵師集団であり、

 

奥絵師はその中でも最も位が高くなっています。

 

また毎月の決まった日に江戸城にて

 

仕事を行うようにされています。

 

木挽町狩野家としては、狩野祐勢正信が

 

京都の室町幕府の足利義政の下で描いていたのが

 

江戸幕府が成立しても

 

代を継いで活躍するようになります。

 

 

 

狩野雅信の系譜となる二人について

 

・狩野芳崖

 

狩野芳崖は、1828年に現在の山口県に位置する

 

長門で生まれています。

 

父は長府藩御用絵師の狩野晴皐でありますが

 

1846年に江戸へ渡り木挽町狩野家の下に入ります。

 

・橋本雅邦

 

1835年に江戸に生まれています。

 

また川越藩絵師の橋本養邦の息子でもあります。

 

1848年に木挽町狩野家の下で学びます。

 

 

 

後進に繋いだ狩野雅信の教え

 

狩野派は粉本主義と呼ばれ、

 

創作性が乏しく画一化された画風で

 

評価は低くされていました。

 

また狩野雅信自体としても、特に優れたものも

 

持っているわけではないと指摘されています。

 

しかし直属の家系ではないとは言え

 

近代日本画の礎を作る狩野芳崖と

 

橋本雅邦を指導した事は

 

大いに特筆するべきとも語られています。

 

 

 

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