1900年、洋画家の牛島憲之は
熊本県熊本市で生まれました。
19歳で熊本中学校を卒業し上京すると
白馬会葵橋研究所に入ります。
やがて1922年に東京美術学校西洋画科に入学すると、
同級には小磯良平や岡田謙三、荻須高徳らなど
優秀な人材が揃っていました。
やがて同研究科に進学し、同級生らで
「上杜会」を結成して
晩年まで作品を出品し続けています。
翌年、牛島は第9回帝展に「あるサーカス」を出品し
初入選を果たしました。
制作活動を続ける傍らで
同舟舎洋画研究所や東光会などにも通い、
作品を発表していきます。
33歳の時には帝展に出品した
「貝焼場の風景」が入選を果たし
同年、第4回東光会展に出品した「貝焼場」、
「午後(貝焼場)」がK氏奨励賞を受賞しました。
やがて1947年の第2回日展では
「炎昼」が特選を獲得。
この頃から写生を主軸にデフォルメした、
独自の淡い色調の静謐な画風を確立していきます。
その後は公募展からは退き、「立軌会」を結成して
終生その場で制作活動を行いました。
50代の後半からは東京芸術大学で教鞭を執り、
名誉教授となる1968年まで、長く美術教育に携わり
後進の育成に尽力しています。
これらの功績が認められ、1981年に日本芸術院会員
翌年に文化功労賞、そして1983年、83歳の時に
文化勲章を受章しました。
牛島憲之の作品の特徴は、「貝焼場」に見られる
鮮やかな色彩による画面構成から
戦後においては「タンク」、「水門」などのような、
幾何学的な形態を淡い色彩で描写する
具象絵画へと移り変わっていきます。
晩年は、初期から貫かれている
独自の形態感覚を基軸に置き、写生に基づき構図
色彩には牛島憲之の造形的意図を
明確に表現した絵画に至りました。
作品には、繊細な光の存在が感じられる
柔らかな色調と、静謐な情感が漂っています。
牛島憲之は、「立軌会」を結成するなど、
展覧会や権威や名誉にこだわらない
制作活動を続けました。
戦時中にも戦争画は描かず、情勢に傾倒せず
自身の信念に基づいた制作活動に専念しています。
作品の多くは、自然の詩情や悠久感を写生的に描き
モチーフには自然や橋、水門などの水辺の風景を好み
叙情的な世界で描きました。
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