片岡球子は1905年1月に北海道札幌市で生まれます。
味噌や醤油、また木材などを扱う商家の長女として
誕生し21歳の時に女子美術専門学校を卒業するも
画家を目指すようになった片岡は
両親から繋りを絶たれました。
それでも尚、神奈川県横浜市で
大岡尋常小学校の教諭として働きながら画家活動を行い
1930年の日本美術院展覧会で出品した
『枇杷』で初入選を果たします。
その後も自身の腕を磨くことに打ち込み
41歳の時には安田靫彦に弟子入りし、それから
約5年後には彫刻家の山本豊市からも
彫刻のデッサンについて教えを受けました。
やがて1955年に女子美術大学の専任講師となり
1989年、84歳で日本画の分野において
文化勲章を受章しています。
片岡球子の作品は、作品の型に当てはまらない
大胆な構図と色彩感覚が特徴です。
これらの作品は同じ画家から
ゲテモノと呼ばれるほど受け入れられず、
また落選を重ねてきました。
しかし日本画の巨匠である小林古径の励ましもあり
片岡球子は作風を変える事無く、
文化勲章受章までのぼりつめています。
■代表作の面構について
片岡球子の代表作として
まず最初に取り上げる事が出来るのが、
1966年に制作を開始させた連作の『面構』です。
第39回日本美術院展覧会で発表した
『歌舞伎南蛮寺門前所見』から、その作品には
伝統芸能のモチーフが前面に出てきている
と言われていますが、
『面構』では浮世絵師や戦国武将、
戯作者などか登場します。
それはこれらの人物がもし現代で活躍していたら?
と言う独自の発想で、迫力を持って描かれています。
■人物画
また片岡球子は人物画も有名です。
モチーフとなる人物を丁寧に観察し、
特に1980年代からは
裸婦をライフワークとして描いていきました。
繋がりのある人物
■安田靫彦
紫紅会の一人として知られている画家です。
大和絵をベースとしながらも
緻密な時代考証も行った作品群は
新日本画の一つと数えられ、
また新古典主義とも言われています。
なお日本美術院の再興も行っています。
■山本豊市
新樹会のメンバーの一人です。
乾漆彫刻がよく知られていますが、
乾漆も使った作品群も有名です。
代表作は『トルソ』や『女』などです。
■小林古径
日本画家で、安田靫彦や前田青邨に並ぶ
日本美術院の三羽ガラスと数えられています。
日本画をベースとした新古典様式が有名です。
片岡球子の作品がゲテモノと言われていた頃、
自殺願望が出るほど
精神的に追い込まれていたようです。
しかし小林古径から
「ゲテモノと本物は紙一重。だから頑張りなさい」
と励まされました。
そしてその作品が本物と認定されたのは、
彼女の功績から明らかです。
片岡球子は遅咲きの部類に入るかもしれませんが
103歳までその情熱を絶やす事はありませんでした。