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2019.05.30
骨董品

淀井敏夫【文化勲章/彫刻】

淀井敏夫(よどいとしお)

 

彫刻家の淀井敏夫は、1911年に兵庫県に生まれました。

 

大阪市立工芸学校に在学中に吉川政治から木彫を学び

 

上京すると東京美術学校彫刻科に入学しています。

 

ここでは北村西望に塑像、

 

関野聖雲からは木彫を学びました。

 

そして、在学中の1931年、第12回帝展に

 

『男立像』を出品し初入選を果たしています。

 

同校を卒業後は、25歳の頃から

 

大阪市立工芸学校の教諭になりました。

 

その後教諭を辞めて上京すると

 

1940年に大阪市が主催した

 

奉祝二千六百年記念展に出品した

 

『征くもの』、『三船氏』が大阪市長賞を受賞します。

 

そのほか二科展では青児賞を受賞し

 

やがて1951年に二科会会員となった後も制作活動を続け

 

内閣総理大臣賞や日本芸術院賞などを

 

受賞して行きました。

 

1982年には日本芸術院会員となり、2001年、

 

90歳の時には文化勲章を受章しています。

 

以降も東京藝術大学にて教授や美術部学長を務め

 

後進の指導にも尽力しました。

 

 

 

淀井敏夫の作品の特徴と技法

 

淀井敏夫の作品は、初期においては

 

テーマを再現的にとらえ

 

伝統的な塑像を多く制作しましたが、

 

40代の頃の作品では対象のフォルムを削ぎ落として

 

デフォルメし、石膏直付技法に取り組み、

 

心棒に直接石膏を盛る独自の技法を用いています。

 

ごつごつとした質感や細長く痩せた肢体表現で

 

複数の人体像を組み合わせることで、

 

自然と人との共存を表すようになっていきます。

 

そして1970年代には、

 

箱根の彫刻の森美術館の『ローマの公園(大)』や

 

釧路大規模運動公園の『飛翔』、

 

宝塚市宝塚大橋の『渚』のような

 

野外彫刻を手掛けるようになりました。

 

 

 

淀井敏夫の評価される所以

 

淀井敏夫の作品は、対象を的確に捉え、

 

その存在感や動きの中に

 

フォルムを創出することによって

 

抽象彫刻として対象を表現しています。

 

独自性のある彫刻の新しい指針を築き上げる

 

その独特な高い芸術性が、

 

評価されている部分の一部です。