浜口陽三は1909年に和歌山県で生まれました。
父はヤマサ醤油株式会社を営んでいましたが、
陽三は東京美術学校塑造科に入学するなど
芸術家としての道へ進みます。
また1930年に東京美術学校塑造科を中退するものの
フランスに渡り美術学校に通ったり、
太陽の塔などでおなじみの岡本太郎。
アンデパンダン展や自由美術家協会結成での
活躍も有名な村井正誠。
「エビハラ・ブルー」で知られる
海老原喜之助などのような、他の洋画家達と
交流を持ちました。
やがて1939年に
第二次世界大戦が勃発していたために帰国。
そして銅版画での作品制作に本腰を入れ
カラーメゾチント技法が
世界中で支持されるようになります。
こうして浜口陽三は1957年の
サンパウロ・ビエンナーレ版画国際部門において
最優秀賞を受賞。
また1961年の
第4回リュブリアナ国際版画ビエンナーレにおいて
グランプリを獲得するなど様々な受賞を重ね
1981年にはサンフランシスコへ移住しました。
そして1996年には日本に帰国し
2000年にこの世を去っています。
メゾチントとは
ベルソまたはロッカーという道具を使って
銅板に穴を作り、
さらにその穴を削り取っていく事で
グラデーションを作っていく技法の事です。
黒の技法(マニエール・ノワール)とも呼ばれますが
18世紀あたりに誕生したそれは
写真技術の登場で廃れました。
ところが20世紀になると
パリに渡った経験を持つ長谷川潔によって復活し
そこから浜口陽三がカラー・メゾチントとして
復活させます。
浜口陽三の場合は赤や青、黄や黒の4色版により
カラー・メゾチントを作り上げ
てんとう虫など従来のメゾチントでは
その本来の色を表現できなかった描写を
可能にしました。
気の遠くなる技法
またメゾチント自体が何ヶ月もの時間を要する
果てしない作業として知られていますが、
カラー・メゾチントになるともっと時間がかかるので
多大な精神力も必要と考えられます。
しかしそのために事細やかな描写力で
落ち着いた世界観が表現できるようになり、
多くの賞を獲得したのも
カラー・メゾチントによる作品が
認められたからと言われています。
1998年11月にヤマサ醤油株式会社により
浜口陽三の作品の展示や、
使っていた道具の紹介もある
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションが
開設されました。
浜口陽三自身がそれに同意したために
開設したとの事ですが、
その功績は自身の生まれ育った家や地域にも
認められたと言えます。
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