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骨董品
2020/12/18

浅田宗伯とは【功績/書/文人/医者】

浅田宗伯の生い立ちは?

浅田宗伯(あさだそうはく)は、1815年に現在の長野県である信濃国で生まれました。祖父も父も医者として活躍しており、10代後半には自らも医者になる事を決めていた浅田宗伯は、高遠藩(長野県)の藩医の中村仲棕から漢方医学を教わります。また3年後には京都にて、京都儒学の代表者である猪飼敬所から経学を。『日本外史』が有名な儒学者の頼山陽からは、儒学や歴史学についても学んでいきました。

1836年には江戸で医者としての家業を始め、一度故郷に戻り高遠藩などでの医療活動で自身の名を広めます。やがて1855年には幕府のお目見得(将軍に直接仕えられる)医師になり、1865年にはフランス公使のレオン・ロッシュの難病を治す事で海外にも名前が伝わりました。1866年には幕府の奥医師として、将軍夫人の天璋院や大奥の治療に努めます。なお同年には法眼の位も授けられました。

明治維新以降は東宮明宮の侍医となり、60代の頃には漢方医療が廃止される動きに反対し、結社・温知社の社主を二代目として就任。晩年まで漢方の保存と普及を願い活動し、1894年、80歳で息を引き取っています。

 

 

 

浅田宗伯の活動の特徴は?

これらのように将軍や天皇などに仕え支えた事。(なお漢方医では最後の東宮侍医と言われています。)他には1887年に堀内伊三郎が世に売った浅田飴(当時は「御薬さらし水飴」と言う名称です)の考案者である事などがその特徴として挙げられる功績といえるでしょう。

ちなみに浅田飴は、堀内伊三郎が同じ出身であるため、処方方法を浅田宗伯自身が教えた事がきっかけです。

 

 

 

浅田宗伯はどのような部分が評価されているのか?

医者として華々しい活躍を見せた浅田宗伯ですが、自身の著者によると幼い頃は先生に、なぜこんなに不器用な頭をしているのかと、思われる子供だったといいます。

しかしこれほどまでに書を残している人は見たことがないと評価されているほど、多数の著作物があり、80種類200巻以上となっています。

 

代表作

 

浅田宗伯の処方仕方がまとめられた『勿誤薬室方函』。

『橘窓書影』や『古方薬議』、『脈法私言』に『傷寒論識』などがあります。

 

 

 

各ワード紹介

■レオン・ロッシュ

幕末時代の駐日フランス公使でもあります。開国を宣言した当時の日本に対して各国が貿易などに積極的になっている頃、イギリスと比べて遅れていると感じたフランスが派遣しました。

1864年に来日し将軍・徳川慶喜と交流するなどして、日本とフランスの架け橋として務めています。

 

■東宮明宮

のちの大正天皇で病弱の天皇として知られています。その関係で1921年から皇太子が摂政を務めていくようになりましたが、文学について詳しく、また神前結婚式を初めて行いました。

その際に日本各地で行われた桜の植樹で、日本に桜が根付いたと言われています。

 

 

 

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