お役立ち情報
骨董品
2019/08/16

津田信夫【工芸作家/金工】

津田信夫(つだしのぶ)

 

津田信夫は、1875年に千葉県印旛郡佐倉で

 

佐倉藩医であった津田長人の長男として生まれました。

 

その後、佐倉修成学校を卒業すると

 

東京美術学校に入学しています。

 

卒業後は、2年後に同校の助教授となり

 

その後教授の職に就きました。

 

同時に自身の創作活動も行っており、

 

浅草や日比谷の噴水、日本橋、国会議事堂の装飾など

 

公共施設の金工品を多く手掛けています。

 

また、一方で30代後半の頃には

 

東京鋳金会を発展させた「青壺会」を結成しました。

 

1919年からは商工省工芸展の審査員となり

 

その後は帝展の工芸部設置に尽力。

 

審査員も務めました。

 

50代になる手前の頃からは金工の研究のため渡欧し

 

フランスやドイツ、オランダ、イタリア、ベルギー、

 

イギリス、ギリシャなど多くの国々を訪れ、

 

当時流行していた装飾様式の

 

アール・デコなどを学んでいます。

 

この際には、津田信夫が50歳の時にパリで開催された

 

「パリ万国現代装飾美術工芸博覧会」の

 

審査員も務めました。

 

この渡欧によりヨーロッパの新思潮を学んだ津田信夫は

 

東京美術学校の一番弟子の高村豊周や

 

若い工芸家たちに教示して

 

新しい日本の工芸の道筋を示しています。

 

そして、1926年に香取秀真と「无型」を結成、

 

1935年には帝国美術院会員となりました。

 

 

 

津田信夫の作品の特徴と技法

 

津田信夫は、ヨーロッパ留学の際に学んだ

 

アール・デコや構成主義などの新思潮に

 

大きく傾斜していました。

 

伝統的な技法と表現、

 

そしてモダニズムを融合させた作品を制作しています。

 

ヨーロッパから帰国後に制作された作品の多くは

 

写実と簡略化、そして、モダンで自由な表現と

 

日本の独特な造形美を融合させた、

 

品格のある作品に仕上げられています。

 

また、金属作品の他にも漆芸や陶芸作品なども手掛け

 

日本の工芸に新しい風を吹き込みました。

 

 

 

津田信夫の評価される所以

 

津田信夫は日本の近代金工家として

 

そしてヨーロッパ留学の経験を生かし

 

モダニズム運動の推進者として、

 

若い工芸家達に多大な影響を与えました。

 

また、単なるモダニズム的な作品制作にだけでなく、

 

日本の生活空間における作品も次々と発表しました。

 

それらの実績は近代日本の金工家として

 

高く評価されています。

 

 

 

一覧に戻る

このカテゴリの最近のお役立ち情報

片づけ始める前にご相談ください

賢い遺品整理・蔵整理

眠っている品物に思わぬ価値がある場合があります。

遺品整理業者・リサイクル業者は、骨董美術品類に高額をつけることはできません。

さらに処分費もかかります。無料査定・買取で賢い遺品整理・蔵整理をお勧めいたします。

  • KURAYAにご相談ください

    • どのように物が売れるのか知りたい
    • 骨董品などの遺品整理に困っている

    買取専門店KURAYAは,骨董品,金・プラチナ、ブランド品、ブランド時計、ダイヤモンド、切手、古銭、勲章、日本刀・鎧兜、掛け軸・絵画、版画、おもちゃ・ノベルティ、 高級食器、珊瑚、翡翠・鼈甲・琥珀、カメラ、鉄道模型,、着物・小物、鉄瓶・茶道具 ,墨・書道具など確かな目で高額買取いたします。

    買取専門店くらやは、新しいもの・古いもの、どんなお品も対象に鑑定する買取専門店としてオープンいたしました。貴金属・ブランド品買取をはじめとし、 古物・切手の買取・骨董品の買取に力をいれております。 ご自宅に眠っている貴金属・ブランド品・骨董品などはございませんか?古物・貴金属・ブランド品などを整理したい方、 現金が必要な方、お引越しで荷物を整理したい方、遺品整理、古い蔵を取り壊して中身を処分したい方など、様々なお客様からご利用いただいております。

査定・買取依頼する
簡易WEB査定