河鍋暁斎(かわなべきょうさい)
河鍋暁斎は1831年に下総国古河
(現在の茨城県古河市)に生まれています。
古河藩士の息子として生まれ、
幼い頃には歌川国芳の下で学んでいました。
また、1840年には狩野派の前村洞和や
次の年には前村洞和の師匠からも教わります。
なおその才能は当時から発揮しており
前村洞和からは“画鬼”と呼ばれるほどでした。
その後1849年には
「陳之」の名前を授けられています。
狩野派は幕府によって
活躍できていた部分が大きいのですが、
幕府の消滅により苦境に立たされた事で
この頃には浮世絵を出したり
挿絵を描くなどして活躍していきました。
やがて1870年に書画会で出した作品が
政府の逆鱗に触れたと言うことで投獄の目に遭い
そこからは名を「暁斎」としています。
以降は1873年のウィーン万国博覧会出品や
1876年のフィラデルフィア万国博覧会での作品発表など
海外の博覧会での活躍が目立つようになります。
そして1889年、58歳の時にこの世を去ります。
作風
河鍋暁斎は狩野派と浮世絵を合わせた
写実的な作風として知られています。
また幽霊や妖怪を描いたり、戯画や挿絵など
様々な内容で作品を発表していきましたが、
時代を風刺する精神もあり、
1870年に投獄された際には
そう言った理由もありました。
もちろんそれらは河鍋暁斎自身に
強い観察眼があったらこそなのですが
土佐派や四条円山派、西洋画についても研究をするなど
努力家な一面もあります。
関連用語の細かい解説
・歌川国芳
1797年に生まれた江戸を代表する浮世絵師です。
西洋画的な明暗法や遠近法を使った風景画の他に
蛙や金魚などの身近と生き物を
キャラクター化したような作品群が
よく知られています。
・狩野派
室町時代を始めとする
400年にも渡って続く画家集団です。
幕府のお抱え絵師となる狩野正信が祖で
中国から伝わった水墨画を元に、
多くの需要に応じてきました。
それが狩野派自体のスタイルにもなり
時代の移り変わりにも強い結びつきで
対応してきました。
・前村洞和(とうわ)
同じく江戸を代表する絵師です。
小さい頃から絵に親しんでいましたが
家庭の事情で、あまり学べない環境にいた所
江戸幕府に仕えていた絵師の狩野愛信(号は洞白)
が試しに描かせてみると、
突出した才能を見せたことで入門しました。
やがて土佐山内家を代表する存在となっていきます。
画家として堂々とした河鍋暁斎
河鍋暁斎は様々な作品を描き、
狩野派の勢いが無くなってからも
自身を狩野派絵師として誇ってきたようです。
同時に酒豪でもあったようですが
狩野派として誇るだけでなく、
反骨精神で風刺画を描くなど
画家として堂々としています。
そして活動終盤には作品を通して
海外との交流が多くなり、
ドイツ人医師からは「日本で一番の画家」
と呼ばれています。
埼玉県蕨市には河鍋暁斎記念美術館があり
その生きた証を知ることが出来ます。
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