河村蜻山(本名:半次郎)は1890年8月に
京都市で生まれます。
父は京都の粟田焼の陶芸家である
河村卯三郎として知られています。
やがて河村蜻山は14歳の頃、
短期で京都市立陶磁器試験場に伝習生として入り
卒業後は京都粟田焼の陶工として働き始めました。
そして自身の制作活動も積極的に行い
19歳の時には京都市立新古美術展で賞を受賞し
その約6年後には活動の拠点を伏見に移しています。
その後1910年には『四季草花図』や
『十二ケ月花卉図』で知られている
図案家の神坂雪佳が開く、佳都美会の立ち上げに加わり
1925年にはパリ万国装飾美術工芸博覧会で
金賞を獲得しました。
60代半ばには鎌合に再度拠点を変えるものの
同年の第10回日本美術展覧会で出した『陶器花瓶流転』。
また60代後半には第1回日展評議員を務めながら
『緑地金襴手渦文花瓶』を出品するなど
精力的に作品を作り続けます。
これらの活動から日本芸術院恩賜賞や
勲四等旭日小綬章などを受賞し
1967年、77歳の時にこの世を去りました。
江戸時代の始め頃に三文字屋九右衛門の
粟田口焼をベースとした、
京都市粟田口一帯で作られる焼き物です。
表面の細いヒビ彩画が特徴です。
また現在は1995年に海外留学を行った安田浩人が
ただ一人で作っていますが、
粟田焼の名を冠したお菓子があるなど
京都では一定の知名度があります。
河村蜻山は金襴手や染付。
青磁に白磁や三島手、赤絵などの技法を駆使しました。
その為に京都の優雅さと一種の色気が作品に現れている
と言われ、当時の陶芸界において
他に類を見ないとまで言われました。
なおそれは懐疑的な京都においても歓迎された
と言われており、河村蜻山が常に作品の中で
美意識を求めていた故の評価とされています。
・金襴手
中国が明時代の時に日本が取り入れた
色絵の磁器に金彩を入れる技法及びその器です。
主に碗の器を指します。
・三島手
朝鮮が李朝時代に作った高麗茶碗の一種です。
そのほか、伊豆の三島神社で使われた
三島暦の文字のような文様があるから
「三島手」と呼ばれる、などとも言われています。
水差しや茶碗の焼き物が多いのが特徴です。
・赤絵
中国の宋時代を起点とする
ガラス材質の緑や青、紫と言った顔料で
上絵付け処理をした陶磁器の一つです。
こうしてみると、河村蜻山が
華麗な作品を作り続けるまでには
様々な技術を学んできた事が分かります。
河村蜻山を通して世に作品を送り出す作家の
努力の一端を感じ取れます。
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