池田満寿夫(いけだますお)
池田満寿夫は1934年2月に
中国の旧満州国で生まれました。
両親は日本人であり、第ニ次世界大戦をきっかけに
長野市へ戻ります。
1952年に長野北高等学校を卒業すると
東京藝術大学油絵科に入ろうとしますが
残念ながら受験に失敗してしまいます。
ですがそこで挫折をせず独学で
銅版や木版について学び、1960年の
第2回東京国際版画ビエンナーレでは『女の肖像』や
『女・動物たち』、『女』を出品し
文部大臣賞を獲得しました。
また1964年に第4回東京国際版画ビエンナーレで
国立近代美術館賞を受賞するなど、徐々に海外でも
その名前が知れ渡るようになっていきます。
さらに1977年には小説作品『エーゲ海に捧ぐ』が
第77回芥川賞を獲得し、その2年後に
自身の手により映画化するなど
非常に幅広いジャンルで活躍しました。
1980年にバイオリニストとの
佐藤陽子との結婚する事を発表。
1983年には熱海市にて、増穂登り窯の代表でもある
太田治孝の手伝いもあって
岩殿寺窯で作陶を始めます。
晩年まで精力的に活動し、1997年3月
63歳の若さでこの世を去りました。
女性達との出会いが作品に繋がる
池田満寿夫の作品は
エロスと愛を突き詰めた作風として知られています。
氏自身が女性との愛に生きる男であり
佐藤陽子の他に三人の女の人との付き合いがあり、
最初に付き合った大島麗子とは
約3年半の結婚生活を送っていました。
またその後に出会った富岡多恵子は
同じ芸術家として、互いの存在が
制作のモチベーションになっていました。
これらの経験を通して氏の作品は
女性の体を大胆に表現し、また富岡多恵子や
リラン・ジーと言う別の女性との出会いは
『エーゲ海に捧ぐ』の原点となりました。
「般若心経」シリーズの作成
池田満寿夫の活動終盤の代表的作品として
欠かせないのが、作陶による『般若心経』シリーズです。
古来の日本の文化に反してきた今までの作品とは違い
『般若心経』シリーズの場合は仏教の経典を再現する
と言う試みを行っています。
その製作期間は2年間と短いながらも
1000作品以上も手掛けているのをみると、
池田満寿夫がいかに力を入れて
制作していたかが分かります。
愛されてきた池田満寿夫
池田満寿夫はマルチアーティストと言う呼ばれで
有名になりましたが、63歳の時に
急死してしまいます。
しかし佐藤陽子は池田満寿夫との出会いを
大切にしており、共に過ごした家を
「創作の家」として公開しています。
そこには池田満寿夫の作品はもちろん
「エーゲ海に捧ぐ」の原稿や写真。
佐藤陽子がバイオリニストとして
舞台に立った衣装が展示されています。
片づけ始める前にご相談ください
眠っている品物に思わぬ価値がある場合があります。
遺品整理業者・リサイクル業者は、骨董美術品類に高額をつけることはできません。
さらに処分費もかかります。無料査定・買取で賢い遺品整理・蔵整理をお勧めいたします。
買取専門店KURAYAは,骨董品,金・プラチナ、ブランド品、ブランド時計、ダイヤモンド、切手、古銭、勲章、日本刀・鎧兜、掛け軸・絵画、版画、おもちゃ・ノベルティ、 高級食器、珊瑚、翡翠・鼈甲・琥珀、カメラ、鉄道模型,、着物・小物、鉄瓶・茶道具 ,墨・書道具など確かな目で高額買取いたします。
買取専門店くらやは、新しいもの・古いもの、どんなお品も対象に鑑定する買取専門店としてオープンいたしました。貴金属・ブランド品買取をはじめとし、 古物・切手の買取・骨董品の買取に力をいれております。 ご自宅に眠っている貴金属・ブランド品・骨董品などはございませんか?古物・貴金属・ブランド品などを整理したい方、 現金が必要な方、お引越しで荷物を整理したい方、遺品整理、古い蔵を取り壊して中身を処分したい方など、様々なお客様からご利用いただいております。
新しい物・古い物、どんなお品も対象に査定する