1883年、日本画家の橋本関雪は兵庫県で生まれました。
父は小六や海関と名乗る
旧明石藩の儒者だったといいます。
漢学や詩文に通じており、「壇城古都詩」や
「古琉球吟」などの著書も執筆するほどで、
関雪は、その父からその手ほどきを受けていました。
また、母のフジも書画が堪能で
中でも経書に長けていたといいます。
橋本は7歳の時に神戸市の高等小学校に入学しましたが
12歳で中退し、この頃から絵画の道を志しました。
そして四条派の画家である片岡公曠に入門しています。
その傍らで、漢詩や俳句、和歌などにも興じていました。
1895年には10代前半にしてすでに
京都岡崎で開催された第4回内国博覧会で、
席上揮毫を披露するほどの腕前を持っています。
やがて17歳になると、神戸美術協会主催の
東宮御慶事記念展覧会が開催され
「王昭君」を出品し御前揮毫を仰せつかりました。
20歳の時には竹内栖鳳が主催する画塾
「竹杖会」に入会し、上村松園や西山素翠嶂ら
近代日本画の優駿達と交流します。
そして2年後、東京美術研精会主催展覧会に
「四面楚歌の声」を出品し研精賞を受賞、
1913年からは文展にて2年連続で
二等賞の受賞を果たしました。
その後1916年からの文展でも
2年連続で特選を受賞し、以降も次々と
各展覧会で受賞作品に選ばれていきます。
45歳の時にはパリ日本美術展に「木蘭詩」と
「瀟湘」の両作品を出品し、「瀟湘」の方は
フランス政府買上げ作品となりました。
これらの功績が認められ、橋本関雪は1934年
51歳のときに帝室技芸員に任命されています。
後に帝国美術院、帝国芸術院の会員ともなり、
55歳のときにはパリで開催された
「日本美術展」の功績により
シュバリエ・ド・レジョン・ド・ヌール勲章を
授与されました。
橋本関雪はとても幅広い作風の作品を発表しています。
若年期には「静御前」「後醍醐帝」などの
日本的な題材を描いていましたが、
もともと素養のあった大陸的文化を色濃く反映し
李白や杜甫などの漢詩世界を絵に反映させました。
そのほか昭和期には動物画を描き始め、
「玄猿」を発表します。
この作品は文部省の買上げ作品になり高い評価を受け
それをきっかけに橋本関雪は
「猿の関雪」とも呼ばれるようになりました。
「新南画」と呼ばれる分野で
精力的に優れた作品を発表し、また近代四条派の
写実的な動物画を確立したことで名声を得ました。
また、日本画の研究だけでなく
中国にも度々渡り、中国の古画の研究を重ね、
四条派の画風に南画を加えた作風で
画壇の重鎮として活躍しました。
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