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骨董品
2019/02/21

橋本明治【文化勲章/日本画】

橋本明治(はしもとめいじ)

 

1904年、橋本明治は島根県浜田町に生まれました。

 

21歳の時に浜田中学校を卒業し、

 

翌年に上京し東京美術学校日本画科に入学、

 

松岡映丘に学びます。

 

同期には東山魁夷、加藤栄三らがいました。

 

在学中、1929年に第10回帝展に「花野」を出品し入選

 

翌年に第11回帝展でも

 

「かぐわしき花のかずかず」が入選を果たします。

 

そして、27歳のときに同校を首席で卒業し

 

同研究科に進学、1937年の第1回新文展で「浄心」、

 

翌年に第2回新文展で「夕和雲」が

 

共に特選を受賞し注目を集めました。

 

また、32歳の時には帝室博物館の依頼により

 

「粉河寺縁起絵巻」、

 

翌年には高山寺「仏眼仏母像」を模写します。

 

さらに、1940年から始まった法隆寺壁画模写では

 

36歳の若さで主任として従事しました。

 

やがて47歳のとき、第7回日展に出品した

 

「赤い椅子」が芸能選奨文部大臣賞、

 

第10回日展では「まり千代像」により

 

翌年に日本芸術院賞を受賞します。

 

この頃には肉太の線描による

 

独特な画風を確立しています。

 

その後も、著名人などをモデルにした

 

話題作を多く発表し

 

1968年に皇居新宮殿正殿の障壁画「龍」、

 

1972年に出雲大社庁舎壁画「龍」の大作を制作し

 

画業の集大成としました。

 

日展評議員や日展理事、日本芸術院会員、

 

日展常務理事などの要職も歴任し、

 

1974年、70歳の時に文化勲章、文化功労者、

 

また浜田市名誉市民に推挙されています。

 

また、83歳のときには島根県立博物館に

 

橋本明治記念室が設けられました。

 

 

 

橋本明治の作品の特徴と技法

 

橋本明治は、1940年から1950年頃までは

 

法隆寺金堂壁画の模写に注力していましたが

 

日展に復帰してからは、太く黒い輪郭線を特徴とした

 

「酔」などの美人風俗画や

 

「ガラシア夫人」、「六世歌右衛門」、「関取」、

 

「女優司葉子」などの肖像画を多く残しました。

 

その作風は、若い頃から将来を渇望される程の

 

才能に満ちており、明るく鮮明な色彩で溢れ、

 

洋画のキュビズムや美術様式に強く影響を受けており

 

清廉な作風で評価されていました。

 

 

 

橋本明治の評価される所以

 

橋本明治が得意とした人物画の表現力は

 

とても高く評価され、明治様式と呼ばれました。

 

その優れた色彩感覚と計算された構図の融合は

 

卓越していました。

 

それらの作品が、日本画壇に

 

新しい方向性を示したと言えます。

 

 

 

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