楽吉左衛門は桃山時代から始まっている
千家十職の1つとして、
楽焼の名を受け継ぎながら作っています。
過去には本阿弥光悦とも親交があり
現在に至るまで大変な時期はあったものの、
それを乗り越えて十五代目まで続いています。
400年以上の歴史の中、伝統を守りながら
新しい作風を取り入れ続けています。
千利休との関わりについて
日本の陶磁器の歴史は、縄文時代から遡ります。
様々な土器を作ってきましたが
西暦401年から朝鮮半島の影響を受け
陶磁器が作られるようになりました。
それから室町時代まではどちらかと言うと
技術のみを独自発展させてきたような感じですが
おもてなしで茶を勧める「茶の湯」の
日本独自の思想が入っていきます。
そして桃山時代になると千利休によって
より日本独自の考えを追求したような
様々な陶磁器が生まれるようになります。
その中で千利休は「侘び茶」と言い、
飾り立てのない落ち着いた部屋で
茶の湯を飲む思想を体現しました。
そしてそれに相応しい樂茶碗を作ることを
初代・楽吉左衛門となる長次郎だけが
千利休から託されました。
ちなみに長次郎の父は
中国から渡ってきた陶工とされています。
楽焼は初代・楽吉左衛門が
前述の千利休の思想を受けて作られました。
ろくろを使わず低温度で焼き上げ
シンプル性を追求しています。
その中でも特に黒樂茶碗は
禅や老荘思想と言う考えが
色濃く反映されていると言われています。
しかし楽焼は当時としては極めて斬新で
多くの人々を驚かせました。
「楽焼」は素人が趣味で作ったもの
と言う意味でも使われていますが、
その斬新性はそのような見方がされていた事も
考えられます。
1558年に京都で生まれています。
刀剣鑑定や研磨を家業としますが
書家や陶芸家など多方面に渡って活躍しました。
また、光悦楽焼や光悦蒔絵を作ったことでも
知られています。
なお本阿弥光悦は徳川家康にも気に入られており
大坂夏の陣の後には家康から
洛北の鷹ヶ峰の地を貰うと、そこに移住し
芸術村として自ら発展させていきました。
深く関わっている楽吉左衛門
このように楽吉左衛門は
日本の思想を現す陶磁器に
深く関わっていると言えます。
また、楽吉左衛門の各世代について知ると
それぞれの時代で取り入れようとしたことも
伺い知れるかもしれません。
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