森田恒友(もりたつねとも)
森田恒友は1881年4月に埼玉県大里郡で生まれました。
17歳の時に画家になるために、
明治美術会によって洋画壇の基礎を創り上げた
小山正太郎が開く
不同社に入っています。
1902年には東京美術学校西洋画科選科へ入り
哲学や神話に基づいた絵画作品が有名な
青木繁を団体名にした
青木グループを立ち上げました。
その後1906年に東京美術学校西洋画科を
トップの成績で卒業。
翌年には石井柏亭や山本鼎と共に
美術雑誌である「方寸」を創り、
また第一回文部省美術展覧会において
『湖畔』が入選し、
以降も太平洋画展などで活躍します。
1914年には父の勧めもあってヨーロッパへ向かい
ポール・セザンヌの作品群に強く感銘を受けました。
1926年には帝国美術学校の洋画科主任教授となり
また水墨画や素描と言った作品群を
展開するなどしますが、1933年4月、
52歳の時に息を引き取っています。
作風
森田恒友は活動初期は肖像画が目立っていたのですが
欧州に渡ってからは西洋画的な作風を、
日本の風景描写に当て込んでいくようになりました。
また活動終盤になると水墨画としても
発表するようになり、それらの作品は
『日本風景版画』と言う
森田恒友の画集で見られます。
作品は総じて森田恒友の自然愛に溢れ
穏やかな雰囲気が感じられ、
そこから人間としての美しさも感じられる
と言われています。
なおエッセイ家としても活躍しており
『恒友画談』や『画生活より』などがあります。
西洋画と日本画について
西洋画は古くから油絵や水彩画など
多種多様な描き方があります。
しかし日本画の場合はそう言った
絵画を描くのに必要と思われる素材は用いず、
金箔や岩絵具、墨などを使っていきます。
これらは材料費が高く、
製作にも根気が必要だと言われてます。
森田恒友の作品は
自然体で描かれている印象を受けますが、
こう言った日本画で使われる素材を
使ってない点にも理由があると考えます。
自然体で作品を描いた森田恒友
森田恒友は自然体で作品を描いた画家と言えます。
早くに亡くなってしまったのが残念ですが
森田恒友の作品群は忘れてはならない
日本の原風景として
私達の心に優しく寄り添ってくれるはずです。