柴田是真は文化4年に
江戸の両国橘町にて生まれました。
父は越後出身の宮彫師の
柴田市五郎として知られていますが、
柴田是真は11歳の時に江戸後期の蒔絵師である
初代・古満寛哉の元に入ります。
また5年後となる16歳の時には、
四条派の画家である鈴木南嶺から
蒔絵についての教えを受けました。
こうして二人から蒔絵を学んだだけではなく、
柴田は青銅塗や四分一塗、紫檀塗と言った
様々な変塗技法も作り
明治の漆工界を代表する人物となっていきます。
そのほかウィーン万博など海外での出品
及び受賞も経験し、
国内外でその名を広めて行きました。
これらの功績により、明治23年、83歳のときには
帝室技芸員となります。
柴田是真は変塗を自ら作るだけでなく、
別途に職人がいた蒔絵の下図を自ら行った事も
大きな特徴と言えます。
その為今までにない蒔絵や漆絵が誕生した
と言われています。
また江戸時代前期に活躍した漆工職人である
青海勘七が用いて以来、
使われていなかった青海波塗の再現もしました。
御用物も作り、新宮殿杉戸絵や
明治御殿襖絵なども知られています。
■青銅塗
黒漆や炭粉、石黄やプルシアンブルーの顔料などで
青銅の色及び質感を描いています。
■四分一塗
銅の中に4分の1の銀を入れることで作ります。
金属のような銀と黒のグラデーションが特色
と言われており、漆には錫粉と炭粉を蒔きます。
■紫檀塗
紫檀はローズウッドとも言われている、
黒みがかった赤色と黒色の木目が特徴です。
その紫檀を真似るために
朱漆や潤朱漆、蝋色漆などを使います。
■青海波塗
紋漆を使った変塗の一つです。
櫛篦で紋漆で抜き取る事で波紋の様子を作りますが
波紋が作ったものとされています。
柴田是真は、自身が納得のいかない仕事はしない
と言う考えをずっと貫いてきたと言われています。
それは江戸っ子気質であったから
とも言われますが、柴田是真が活躍した明治中期
変革の波が押し寄せた事で
自身の考えを曲げてそれに合わせた職人も
多かったのではないでしょうか。
その中で自身の信念の下、
作品を作り続けてきた柴田是真は貴重と言えます。