松田権六は、1896年に石川県の農家に生まれました。
7歳で仏壇職人であった兄の孝作から
蒔絵漆芸の技術を学び始め
18歳の時に石川県立工業学校を卒業し
東京美術学校漆工科に学びます。
卒業後には陸軍に入隊し、1921年に除隊しています。
そしてその年に、東洋文庫にて
朝鮮楽浪遺跡跡で発掘された
漆遺品の修復作業に携わりました。
29歳になると、六角紫水教授らの勧めで
株式会社並木製作所に入社し、喫煙用品や
万年筆などの漆工加飾作業を手掛けます。
1927年に並木製作所を退職すると
東京美術学校助教授や
帝国議会議事堂便殿(現御休所)の漆工事を
手掛けるようになり、漆芸師としての名を広めます。
47歳の時には東京美術学校の教授となり
1955年、59歳で「蒔絵」の分野で
人間国宝に認定されました。
また同年に、社団法人日本工芸会を設立し
理事に就任、1962年には理事長となっています。
その後、執筆活動も積極的に行い
著書「うるしの話」(岩波新書)を刊行
毎日新聞に「漆芸十話」の連載などを行います。
後進の育成にも尽力し、自身も設立に深く関わった
輪島市漆芸技術研修所の設立に伴い
現石川県立輪島漆芸技術研修所の講師に着任します。
78歳で勲二等瑞宝章を受章、
80歳で文化勲章を受章しています。
松田権六の作品の特徴は
多彩な漆芸の技法を駆使して
加飾素材を最大限に活かした
華やかで豪奢な表現方法だと言えます。
その作品には、螺鈿や鎌倉彫などを駆使した蒔絵に
金粉や色漆がしばしば使われています。
幼少から学んだ加賀蒔絵などの
古代漆芸の影響を強く受け、それを踏襲しながら
新しい独自の技法も取り入れた
豊かで格調高い新境地の漆芸を切り開いています。
松田権六がその華やかな作品を多く制作できたのは
地道な漆芸への修練の積み重ねによる所から
来ているといえます。
7歳の頃から蒔絵を始めたほか
自身の制作活動と共に36年間もの長きに渡って
後進の育成に尽力しています。
一方、文化財の保存にも力を注ぎ
国宝中尊寺金堂や正倉院の
保存修理などにも従事しています。