松本楓湖(本名:敬忠)は、1840年9月に常陸国(今で言う茨城県)にて生まれています。父は医者でありますが、息子が幼少期の頃から、その絵の才能に気づいており、江戸に移り住み浮世絵師の歌川国貞に教えるようにお願いをしたのですが断られてしまいます。
しかし、2年後に再び江戸に渡り、鳥取藩御用絵師として活躍し琳派風に写実性を与えた鮮やかな色彩の花鳥画が知られている、沖一峨を師匠として持つようになりました。それからは師のもとで修行を積んでいきますが、2年後、沖一峨が息を引き取る事となり、以降は代表作に『秋月野花図』を持ち彦根藩の御用絵師である佐竹永海の塾に通うようになります。そして5年後には塾のリーダーとなりました。
また、血気盛んな性格をしていた松本楓湖は尊皇運動を起こし天皇親政を願う勤皇画家として活躍。1864年には、水戸藩尊攘激派による天狗党の乱に加わりますが、幕府側の勝利により一時的に故郷に戻ります。
そして江戸に再度渡ると、佐竹永海の下で絵を学びますが、1868年に狩野派の影響がありながらも柔軟性のある作風で日本の美術界に強く貢献した菊池容斎に、佐竹永海の了承を取った上で弟子入りし、歴史人物画について教わるようになりました。
また輸出用の七宝の下絵を生活のために制作するなどの日々を過ごし、1881年に東洋絵画会を設立。同じ年には宮内省からの頼みで『幼学綱要』といわれる教科書を製作しています。
1888年には『婦女鑑』の挿絵を描くと言ったように画家としての経験を積み上げ、特に1895年の第4回内国勧業博覧会において出品した『蒙古襲来及碧蹄館』で名を広めていきました。
翌年には巽画会の顧問となり、安雅堂画塾を立ち上げるなど後輩の指導を務め、1919年には帝国美術院会員となっています。
そして息を1923年6月に息を引き取りました。
代表作には『和装西洋婦人像』や『蒙古襲来・碧蹄館図屏風(六曲一双)』などがあります。
松本楓湖は愛国心の強い人物でもあり、その性格が作品に現れていると言われています。歴史画や合戦画に優れており、特に1900年に発表した『楠公父子訣別図』は、南北朝時代の戦いに行く楠木正成父子の別れを描いた内容となっており、松本楓湖の愛国心が最も分かりやすく出ている作品の一つと言われています。
しかし一方で、西洋婦人や歴史人物画も得意としており、菊池容斎の下で学んだのは菊池容斎が描いた、歴代天皇の挿絵及び紹介を記した『前賢故実』を見ての事です。松本楓湖もまた欽定教科書の『幼学綱要』と姉妹作『婦女鑑』の挿絵を描いたのは、大きな話題となりました。
他にも『日本歴史画報』の編集も率先して行っています。
松本楓湖は強く菊池容斎からの教えを守っていると言われています。また自宅にて安雅堂画塾を立ち上げのですが、菊池容斎の教えを後進に引き継ぐのがその目的です。
しかし決して松本楓湖の独りよがりの考えではなく、塾生には、洋画の写実性と日本画の装飾性を合わせた作風で、実業家の原三渓に作品『月あかり(野趣四題のうち夏沢清夜)』が買われた小茂田青樹。大和絵の模写を下積み時代に行い、そしてその日本画の伝統の破壊を模索。『近江八景』の連作が有名な今村紫紅などがいます。
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