日本画家の松尾敏男は1926年に
長崎県で生まれました。
1929年に上京すると、やがて
日本画家の竪山南風に師事し始めます。
その後20代前半の頃には第34回院展で
『埴輪』が初入選を果たし
、関主税(せきちから)や加山又造らと共に
「不同社」を結成、その後も院展で
受賞を重ねていきました。
そして、1970年には『樹海』が
日本美術院賞を受賞すると、
翌年には日本美術院の同人となっています。
また、それから間もなくして
『海峡』で芸術選奨新人賞を受賞、
1979年には『サルナート想』が
日本芸術院賞を受賞しました。
60代の頃には多摩美術大学で教授として教壇に立ち
以降も日本芸術院の会員や
勲三等瑞宝章の受章者などとして任命され、
2000年には文化功労者として認められています。
そして2012年、86歳の時に
文化勲章を受章しました。
松尾敏男は3歳まで長崎で暮らし、
17歳からは日本美術院同人の竪山南風に師事して
新進気鋭の日本画家として頭角を現します。
その作品は様々な手法で描かれていると共に、
実に幅広いモチーフが取り上げられています。
自然をモチーフにした死生観など抽象的なものから
繊細な花鳥画や人物画、さらには、風景画で
ヨーロッパ、アジアの情景を描き、
戦後の日本画壇に新しい境地を開きました。
多くのモチーフの中でも
牡丹などの花鳥の描写には特に優れており、
「花の松尾敏男」とも呼ばれています。
このように色彩豊かな作品も
たくさん残していますが、一方で86歳の頃に描いた
『白糸の滝』では、幾筋もの水の流れや岩の様子を
墨の濃淡で美しく描きました。
また、画面中央に光り輝く虹を配し
より一層幻想的な作品に仕上げています。
また、松尾敏男は1970年代より
東南アジアやインド、中国などを取材に訪れ、
特有の風土と悠久な自然に感銘を受けました。
そのほかヨーロッパ各地も訪れ、
取材先での感動に強く影響を受けた作品も
数多く発表しています。
松尾敏男は20代の頃は内省的な絵画を追求し
その後は伝統的な日本画の良さを再認識して
写生を基本とした画風で高い評価を得ました。
その作品群で松尾芸術を確立させ、
また、晩年は水墨画でその極致を示しました。