東郷平八郎は1848年に鹿児島県の薩摩藩士の家に生まれました。五人兄弟の四男として育ち、10代半ばの頃には藩士として薩英戦争に参戦しています。1868年に起こった戊辰戦争でも新政府軍と対峙すると言ったような活躍をし、明治時代には海軍士官となりました。
その後、1871年には念願であったイギリスへ留学。現地では日本人であるがためにからかわれるなど苦労もしたと言われていますが、東郷平八郎が早くから海上戦を経験していたことが明らかになるとそれも和らぎ、国際法の学習に力を入れていきます。
約7年間の留学を終え帰国したのちは、再び海軍で少佐として仕え、1894年の日清戦争で艦長、ならびに司令官。そして1903年には連合艦隊司令長官に任命されるなど活躍していきました。
特に、1905年の日露戦争中にロシアの名高いバルチック艦隊を撃破したことは、世界に東郷平八郎の名を知らしめるきっかけとなっています。これによって伯爵位を授かり、また1913年には元帥に。1926年には最高の位となる大勲位菊花章頸飾を与えられたほか、アメリカのニュース雑誌『タイム』において、日本人で初めて表紙を飾るなど国内外で評価されることとなりました。
晩年は囲碁や盆栽など穏やかな趣味を楽しみながら質素倹約に過ごしたと言われ、1934年に息を引き取っています。葬儀は100万人をあげての国葬となりましたが、国外からもイギリス、アメリカ、フランスをはじめとする儀礼艦が参列し、非常に大規模なものとなりました。
バルチック艦隊を破った点がよく取り上げられています。
艦を150度旋回させる大胆な戦略は「東郷ターン」と呼ばれ、参謀で「本日天気晴朗なれども浪高し」の言葉が有名な秋山真之が提案した丁字戦法を取り入れました。
しかし実際は丁字戦法は使われておらず、東郷平八郎の決死の戦いの末の勝利であったと現在はよく指摘されています。
東郷平八郎は父が藩士であった点のみならず、母から強い教育を施されました。若くして留学を望み、国際法を学んだのも東郷平八郎の功績の土台となっていると言えるでしょう。
また薩英戦争で海での戦いの必要性を考え、バルチック艦隊を破った事で「東洋のネルソン」と言う呼ばれも獲得しました。
他には政治への関与は否定的である事から「沈黙の提督」という呼ばれもあります。
関連書
船橋市西図書館が製作年が判明されていない書を所蔵。
他に早稲田大学図書館が、原安三郎が集めていた関連書を現在所有しています。
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