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掛け軸・絵画
2020/05/29

村瀬太乙【日本画家】

村瀬太乙(むらせたいいつ)

 

村瀬太乙は1803年7月に、当時の岐阜県である

 

美濃国の中、武儀郡で生まれています。

 

どちらかと言うと画家としてより、

 

儒学や文学の作家として有名ですが

 

幼い頃は曹洞宗善応寺の晦巌善知で学び、

 

また村瀬藤城から経史詩文を教わっています。

 

なお村瀬藤城は多くの学者及び南画家を出した

 

村瀬藤城の一族の中で、村瀬太乙の場合は

 

画のみならず詩や書にも優れており、

 

中国人の儒者で尾張藩から招かれた金華水は

 

「詩書画の三絶」と彼を評しました。

 

また1844年に尾張犬山の郷校敬道館の

 

教授も務めており、活動終盤時期に犬山に住みますが

 

放屁先生と言う呼ばれがあるほど

 

奇妙な行動を取る人物である事も、

 

村瀬太乙を表す特徴の一つです。

 

そして1881年、7月に息を引き取りました。

 

 

 

作風

 

村瀬太乙の作風は禅的でありながらも

 

世相を気にしない、自由な作風の淡墨作品が有名です。

 

ちなみにこれは活動終盤に見出した作風で

 

最初はの影響を色濃く受け継いでいる

 

と言われています。

 

なお風俗や人物画を題材にしたものも多いのが特徴で

 

代表作の一つが想像上の生き物の鵺を描いた

 

『鵺退治』です。

 

 

 

関連用語の細かい解説

 

・村瀬藤城

 

元や明、清時代の中国絵画が始まりとなった

 

南画を代表する人物であり、

 

酒屋の十一屋の三男として1794年に生まれました。

 

長兄は儒学者で次兄は尾張藩医の一家でもあり

 

村瀬藤城自身も詩や書、画に優れ

 

後輩の指導に務めるなど画壇に大きな影響を与えた

 

と言われていますが、家事を継ぐのを重視した為

 

不出世であるとされています。

 

・詩書画の三絶の呼ばれ

 

まず三絶とは特に詩や書、画について

 

他に敵う人がいない人を指します。

 

他に詩書画の三絶という呼ばれは、

 

中国の宋の四大家の一人である黄庭堅がいます。

 

 

 

それほど知られてない村瀬太乙の功績

 

村瀬太乙は残念ながらそれほど表立って

 

知られている人物でありません。

 

「村瀬太乙の世界 : 企画展」が

 

一宮市博物館にて1992年に開催。

 

「村瀬太乙の世界 : 犬山に伝えられる

 

絵画・書 : 特別展」が

 

犬山市文化史料館にて1998年に開催。

 

また吉田 暁一郎の著作による「村瀬太乙の生涯」が

 

1964年に刊行された程度となっています。

 

今後はもっと脚光を浴びても良い人物の一人です。

 

 

 

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