1909年、杉山寧は東京に生まれました。
東京府立第三中学校を卒業すると、
間もなく東京美術学校日本画科に入学しています。
在学中には第12回帝展に『水辺』を出品して
入選を果たし、翌第13回帝展でも『磯』が
特選を受賞しました。
その後東京美術学校を首席で卒業すると
師事していた松岡映丘の「木之華社」に
通うようになります。
1934年には第14回帝展に出品した『海女』が
特選を獲得し、その清新な感覚で描写された作風が
好評を得ていきました。
同年、松岡映丘の同志らと「瑠爽画社」を結成し
銀座資生堂ギャラリーにて
第3回展覧会まで開催し、作品を発表しています。
さらに中国大陸への旅に出ると
雲岡石窟寺院で半年間石仏の写生を行い、
自身の画法を磨きました。
帰国後、1951年には第7回日展に
ギリシャ神話をモチーフにした大作『エウロペ』
を出品し、以後も1974年まで約20年間に渡り
出品を続けています。
その間、評議委員や常務理事、審査員などの
要職も歴任しました。
また、同年に東京美術学校出身の
東山魁夷、橋本明治、山本丘人らと
画会「未更会」を発足し、新作を発表していきます。
1957年には、第12回日展に出品した『孔雀』が
日本芸術院賞を受賞しました。
緊張感のある画面構成で
孔雀を華やかに表現した同作品は、
杉山寧の中期の代表作となっています。
以降、杉山の作風は1961年の沖縄、
翌年のエジプト、ヨーローッパ旅行を機に、
今までの平明な自然描写から
重厚なマチエールで抽象化する作風に
変化していきます。
作品にはエジプト古代遺跡を題材にした
抽象的なものや、裸婦や鳥、動物を
夢幻的な世界で表現したものが増えて行きました。
以上のような功績が称えられ、杉山は1974年、
65歳のときに文化勲章を受章
さらに文化功労賞を顕彰されています。
また、1982年から1986年までは
日本芸術院の第一部長を務めました。
杉山寧の1960年頃の作品は抽象的表現が多く見られ
画材には日本画で主に用いられる和紙や絹は使用せず
洋画で使われるキャンバス(麻布)
を用いています。
反面、絵の具は岩絵の具に
精細な砂を混ぜて厚塗りし
独特の質感を表現しました。
以降は色面構成に抽象モチーフを組み合わせた背景に
細密に描写した花鳥を配する作風を確立します。
「造形主義」と呼ばれる写実と抽象を合わせた
2重構造の新しい画面構成を打ち立てました。
1962年頃に発表された作品には、
海外を訪れた際に影響を受けた美術作品をはじめ
エジプトのピラミッドや
民族衣装を纏った女性なども
モチーフ取り入れられています。
杉山寧は
戦前はその高い日本画の技法を用いて作品を描き、
戦後は岩絵具を駆使して
日本画の技法を一新しています。
独自の作風によって描かれたその作品と
杉山自身の功績は高い評価を受けています。
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