有島生馬(ありしまいくま)
有島生馬(本名:壬生馬)は1882年11月に
神奈川県横浜市で生まれました。
なお父は横浜税関長として務め
兄は評論家や洋画家として活躍した有島武郎。
弟は小説家で『善心悪心』や『妻を買ふ経験』
などが知られている里見弴(とん)
として知られています。
なお有島生馬はその家庭環境で
政治家の息子達と親交が深く、
開かれた世界にいたと言えます。
また1904年に入学していた
東京外国語学校イタリア語科を出ると
ロマン主義的で繊細な描写力と、
鮮やかな色彩感覚で知られている
洋画家の藤島武二から学び、翌年にはイタリアの
ローマへ渡り国立美術学校に入るほか、
パリでも勉学に励みました。
なおパリでは、黒田清輝や久米桂一郎を指導している
画家のラファエル・コランにも教わっています。
1910年に日本に帰ると雑誌『白樺』の創刊に加わり
翌年には第11回文展において出典した
『宿屋の裏庭』で入選。
その後も1936年に一水会の設立に加わったり
1937年に帝国芸術院会員になるなど活躍を続け
1974年、91歳でこの世を去りました。
作風とその他の活躍
有島生馬の作風は、一見噛み合わない2つの要素を
作品内で一つに収めていると言われています。
冒険的であると同時に優雅で、
また客観性と感情的でもあると証されています。
一方で、文筆においても名を残しており
新体詩や小説を白樺の場で掲載。
それと外国語に強いことから
日本ペンクラブの副会長も1935年に務めました。
イタリアに渡った背景
有島生馬はローマに渡る前となる
17歳の頃に病気をした関係で
父の生まれた場所である鹿児島で身体を労り
そこで会ったカトリック信者により
イタリアの芸術に興味を持ったと言われています。
その為兄の有島武郎と共に
イタリアをまわっています。
関連用語の細かい解説
・二水会
1936年に美術団体の二科会を抜けた有島生馬と、
日本の風土感ある写実的部分がありながらも
鮮やかな色彩で知られている
安井曽太郎と共に結成しました。
恒例的な技術と様式化を無くし
律儀で穏やかな作風を主に発表しています。
・白樺
1910年4月から出され、1923年8月まで続いたものの
関東大震災により廃刊となりました。
また白樺に影響された事で様々な宗教にも感銘を受け
理想主義や人道主義などを提示する
芸術・文学家の事を白樺派と呼びます。
裕福な家庭環境で才能を育んだ有島生馬
有島生馬は裕福な家庭で生まれ育ち
その環境を上手く活かしながら
画家・文筆家として大成した印象を持ちます。
なお有島生馬が長年過ごした
神奈川県鎌倉郡にある洋館は、
現在有島生馬記念館として使われています。
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