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2021.01.28
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志村立美とは【美人画/画集/作品/日本画家】

志村立美(しむらたつみ)の生い立ちは?

志村立美(本名は仙太郎)1907年に群馬県高崎市で生まれました。幼い頃に横浜市へ移住し、同地の小学校高等科を卒業すると、神奈川工業高等学校図案科へ進学しています。ですが途中で辞めて、17歳の頃には美人画を得意としていた画家・山川秀峰のもとへ弟子入りしました。

その後、山川秀峰からの助言を受け、雑誌『婦人界』上で挿絵を手掛けるようになり、株式会社金田商店からは新版画に分類される木版画も発表していきます。また1933年には小説家・林不忘による新聞連載小説『丹下左膳』の挿絵を担当。『丹下左膳』自体は1927年から東京日日新聞上にて掲載されていましたが、志村立美の描くその挿絵によって、より多くの評判を集め、同作は戦前から戦後に渡り幾度も映画化されることとなりました。

30代中頃には第1回陸軍美術展にて戦争画を発表。翌年も同展で活躍しています。戦後は美人画集団の日月社展や、山川秀峰や伊東深水などが立ち上げた青衿会で肉筆画の作品を発表し、1963年頃には本格的に日本画、特に美人画の制作に打ち込んでいきました。

やがて1976年、作品集『美人百態』を出した事で日本作家クラブ賞を受賞。画家としての活動のほか、日本作家クラブ副理事長や出版美術家連盟会長、日本画院同人などの要職も務め、1980年、73歳で息を引き取っています。

 

 

 

志村立美の作品の特徴は?

志村立美は他に浜本浩の『坂本龍馬』や海音寺潮五郎の『暴風の旗』などと言ったように、様々な作家の新聞小説の挿絵を担当しています。

岩田専太郎や小林秀恒と共に挿絵界の三鳥羽として、挿絵画家の代表的存在となりました。

また美人画家としての作品は切れ長の目や白い肌などから来る、控えめでありながらも上品で、なおかつ妖艶な女性を表現したところに特徴があります。

後年はインドネシアやバリの女性をモチーフにした作品も発表しました。

 

 

 

志村立美は他にどのような部分が評価されているのか?

志村立美の美人画は現在でも強い支持があり、描く女性ごとに様々な内面が隠されていると言われています。

また、若い頃には進学先の神奈川工業高等学校図案科を退学していますが、それが上手く作用し、山川秀峰からのアドバイスで自身の画家としての成功の道を歩んだのでは、といった評価もなされています。

 

代表作

 

「現代女性十二態」のシリーズの内、『夏たけて』や『追羽根』、『花吹雪』(いずれも1970年発表で東京国立近代美術館が所蔵)などが代表作として知られています。

 

 

 

各ワード紹介

■山川秀峰(やまかわほうしゅう)

1898年に生まれた日本画家で、版画も手がけています。

9回帝国美術院展覧会での『安部野』が特選となるなど昭和前期の日本画壇で活躍し、一瞬の美しさを閉じ込めた美人画が評判を集めました。

また47歳の若さで亡くなるのですが、青衿会を立ち上げるなど後進にも美人画としての道を提示していきました。