彼末宏は1927年8月に東京にて生まれました。
実家は転勤の機会が多く、
学校の頃には父の仕事の影響で
北海道の小樽に移り住む事になります。
その後1945年に
通学していた北海道立小樽中学校を卒業し
陸軍士官学校に入る所を
自らの志願で東京美術学校油画科に転入。
なお面接の際に梅原龍三郎に会うのですが
「小さな頃から絵が好き」と言う志望理由が
安易と捉らえれた為か?最初は転入は叶わず
翌年になって入ることを許されました。
在学中は、しばらくは梅原龍三郎から学ぶのですが
退任したため独特な詩的な作品世界で知られる
北海道出身の久保守から教わることになります。
やがて1952年に首席で卒業。
東京美術学校から名を変えた
東京芸術大学油画科の助手となり
以後1968年には同校油画科講師に。
さらに1980年には教授となるなど、
後進の指導に務めながら、作品を発表していきました。
受賞歴も多く、例えば1957年に国画会展で発表した
『CIRQUE』で国画会賞を受賞。
1958年には国画会での連続入選が認められ
国画会会友となっています。
彼末宏の作風は、特に活動初期には
写実主義を抜け出した、暖色系の多い
空想的とも言える具象画を描いている事で
知られています。
またそれが特に分かりやすく出ているのが
1945年代から1955年に見られる
サーカスを題材にした作品群です。
とは言えその作風も1970年代になると変化が見られ
黒色が目立つ色鮮やかな作風となります。
それは雰囲気が暗いと言うより、
神秘性や清楚な透明感が表現されたものとなっており
彼末宏の才能を感じさせます。
対象となる素材を極端に捨象する事はせず
具体的に描写した絵画の事です。
抽象画が生まれたことから区別するために
具象絵画と言う言葉が生まれたとも言われていますが
具象絵画は写実主義ほど写実的には描かれていないこと。
また抽象画ほど抽象的には描かれていないので
写実主義と抽象画の中間というイメージだと
分かり易いのかもしれません。
「非定型的」の意味を持つ、第二次世界大戦後
10年間ほど続いた抽象絵画の運動の事です。
欧州地方での言い方で、アメリカの場合は
抽象表現主義と呼んでいます。
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