建畠覚造(たてはたかくぞう)
建畠覚造は1919年4月に東京都荒川区で生まれました。
父は和歌山県出身で、官展の三羽烏の一人の
建畠大夢で知られています。
建畠覚造は18歳の時に東京美術学校彫刻科へ入り
在学中の1941年には第4回文部省美術展覧会において
『黙』を出品し特選を受賞。
なお同年に東京美術学校を主席で出ています。
1950年には行動美術協会彫刻部の設立に関わり
1953年から1955年までフランスに留学。
またフランスではサロン・ド・レアリテ・ヌーベルや
サロン・ド・メ。
サロン・ド・ジュヌスクールチュールへの
出品経験も積んでいきました。
1955年に帰国した後は、金属を使った
幾何学的な造形により、日本の抽象彫刻を
代表する存在となっています。
1981年には『CLOUD-4』で中原悌二郎を受賞し、
1990年には芸術選奨。
2006年2月にこの世を去ります。
作風
建畠覚造の作品は活動初期は、
ヘンリー・ムーアを思わせる人物像を
数多く手がけてきました。(なお1983年には
ヘンリー・ムーア大賞展優秀賞を受賞しています。)
とは言え建畠覚造の作品は
抽象彫刻へシフトする事に注目されており、
1970年頃になるとネクタイや雨傘などを
作品のモチーフに加えた、
ユニークな作品展開を行っています。
また1980年代からは金属のみならず合板も利用し
雲や風景を題材にした作品を発表。
さらに活動していく内に様々な素材を使うようになり
セメントや鉄、ブロンズに石膏やプラスチックなど
列挙すればキリがないくらいに
多種多様なアプローチを行ってきました。
関連用語
■ヘンリー・ムーアについて
イギリス及び20世紀を代表する
彫刻家として知られています。
人間や自然愛をテーマにした作品を数多く発表しており
また穴の空いた人物像が有名です。
なおヘンリー・ムーアもプラスチックや石など
様々な素材で作品を作っています。
■行動美術協会彫刻部
洋画と彫刻による美術団体です。
戦争の理由で一時解散になった二科会は
1945年に再結成となります。
その際に本来の二科会とは、方向性が違うことを理由に
元二科会の柏原覚太郎や古家新。
田辺三重松や向井潤吉などによって結成されました。
■合板
原木から作ったベニヤ板を幾つも合わせたものです。
加工のしやすさや強度の高さに特徴があります。
後進に教えを残した建畠覚造
建畠覚造は1959年に多摩美術大学の教授となり
1986年には武蔵野美術大学客員教授としても
就任します。
なお1992年に今までの作品をまとめた
「建畠覚造作品集」を出版。
多種多様な素材を使うなど、
研究熱心であることが伺える
建畠覚造の教えやその本は
後進の作家に大いに役立ったはずです。