幸田露伴(本名は成行)は、1867年に東京で四男として生まれました。父は将軍に仕えた武士、兄の郡司成忠はのちに占守島に農業や漁業を開いた開拓者。弟の幸田成友は『大阪市史』や『日本経済史研究』を出した歴史家。妹の幸田延は東京音楽学校教授であり帝国芸術院会員ともなっていると言ったように、それぞれの分野で名を残しています。
幸田露伴は10代になった頃から当時の大衆小説として知られていた草双紙などを好んで読み、中学在学中にはのちに小説家となる尾崎紅葉をはじめとした学友と親交を深めました。入学と中退を繰り返す学生時代でしたが、以降も文学作品への興味は尽きず、漢学や詩についても独学で学んでいきます。
その後、1884年ごろに逓信省の電信修技学校に進学し、卒業後は電信技師として勤めました。ところが坪内逍遥の『小説神髄』や井原西鶴などの江戸文学に刺激を受けた事で仕事を辞め故郷へと戻り、父の営んでいた紙屋で働きながら、1889年の『露団々』を発表。この作品は小説家・山田美妙などから評価され大きな話題を呼び、続けて『対髑髏』や『風流仏』、『五重塔』と言った優れた作品を出版すると、早くから小説家としてその名を広めることとなっています。
次々と作品を発表していった幸田露伴は、やがて尾崎紅葉と並んで「紅露時代」の謂れも獲得。日露戦争以降は考証と史伝の作品が目立つようになっていきますが、40代の頃には京都帝國大学にて教鞭を執るなどし、国文学講座を担当しました。しばらく期間が空いたのち、1919年に発表した『運命』や『幽情記』が評判を呼び、再び文壇で活躍。1937年に第1回文化勲章を受賞し、帝国芸術院の会員にもなっています。
そして1947年、79歳で息を引き取りました。
現実を忠実に表現せずに自身の感性を大切にした理想派と呼ばれている所が特徴的です。
幸田露伴の作品は『風流仏』や、ハンセン病を描いた『対髑髏』は、怪奇性のある物語として表現しています。
そのほか長編小説の『風流微塵蔵』や、1903年の『天うつ浪』は残念ながら未完で終わっています。また1920年から亡くなる年まで『芭蕉七部集評釈』を発表するなど、その題材は多岐に及んでいます。
ちなみに尾崎紅葉は、反対に現実を忠実に描く写実派だと言う風に比較されています。
活動終盤時期には大露伴と言う呼ばれも獲得し、小説に当てはまらない、中国の文学や宗教について、また古典批評などの文筆活動は大いに称賛されていきました。
自分の旅を綴った1893年発表の『突貫紀行』では、自身の悩みを書いており、人間臭い一面も見せています。
他には森鴎外や坪内逍遙と比較され紅露逍鴎時代と呼ばれる時代も形成しています。
他の代表作
1920年から1947年発表の『芭蕉七部集』(1956年印刷版を高知市民図書館が所蔵)
1938年発表の短編小説集『幻談』(1947年印刷版を高知市民図書館が所蔵)
1940年発表の『連環記』(1991年印刷版を大阪府立大学学術情報センターが所蔵)
などがあります。
■山田美妙(やまだびみょう)
小説家で言文一致や新体詩運動の代表的存在となり、また『日本大辞書』でアクセントを表記した事が知られています。
『いちご姫』や『蝴蝶』などの暗い雰囲気の作品群も有名です。
■尾崎紅葉(おざきこうよう)
山田美妙と共に硯友社を立ち上げた小説家で、言文一致体の作品群も知られています。小栗風葉や泉鏡花などの後進の作家を育て、初期の代表作には『二人比丘尼色懺悔』があります。
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