川辺御楯(かわべみたて)
川辺御楯は1838年10月に筑後国柳河
(現在の福岡県南西部)で生まれました。
父の川辺正胤からは6歳時に、
また絵師の三善真琴からは
12歳時に狩野派の絵について学んでいます。
そのほか西原晁樹から有職故実について教わり
書籍含む武術関連についても指導を受けるなど
幅広い分野の知識を吸収しました。
また、その頃になると狩野派から
土佐派へ学ぶ対象が変わっていきます。
筑後柳川藩の生まれと言うのもあって
時代の波に呑まれながらも、
土佐派を代表する画家の土佐光文の下で
3年間大和絵について学び、
後年は大和絵歴史画家として
大成するようになりました。
その後、1882年の内国絵画共進会で銅賞
1884年の同会で銀賞を受賞。
同じ年には川端玉章と山名貫義達と
共に東洋絵画会を設立しています。
1889年には日本美術協会展で
絵画研究会幹事として務め、
同展での活動が目立つようになりました。
その他、皇室へ作品を献上することも重ねていく
と言った活躍も見せ、
1905年、68歳で息を引き取っています。
代表作としては奈良正倉院宝物模写や
東宮御所襖絵に皇居杉戸絵。
狩野派としてよりも土佐派としての
作品が目立つと言われています
狩野派と土佐派について
・狩野派
室町時代の半ばに、幕府の御用達の絵師であった
狩野正信がきっかけで誕生した、
水墨画の絵師の団体です。
狩野正信と同じ様に幕府のお抱えとして活躍し
また狩野正信は伝統的な大和絵と
中国渡来の漢画を合わせたものとして
画風を確立。
狩野派としても明快な絵、
そして数多くの受注に応え
400年も続く活躍を誇ってきました。
なお漢画は筆で描くラインを重要視し、
大和絵は輪郭線を細くし絵の具を濃く塗ります。
それを守るために粉本と言われる手本があり
江戸時代中盤になると
創作性がないと批判の対象とされますが
それでも狩野派を受け継いだ
数多くの画家が大成しています。
・土佐派
四季の中の人や生き物を優雅に描写した、
伝統絵画の大和絵の中の一つです。
宮廷絵所絵師の藤原行広が礎となりますが
土佐光信が団体として形作っていきます。
狩野派と同じ様に室町時代に始まり
最も長い家系、そして最多の弟子を誇りましたが
桃山時代に差し掛かった頃に狩野派の勢いが増し、
土佐派の活躍は尻をすぼめるようになりました。
なお大和絵と言う名称は
中国の影響を受けた日本画と差別化を測るために
平安時代からある様式に対しても用いられており
倭絵とも言われています。
西原晁樹(にしはらちょうじゅ/あさき)
川辺御楯に有職故実について教えた人物です。
1781年に生まれた国学者であり
柳河藩士でもあります。
10代後半のころからは江戸で世話役を務めており
のちに要人の国学指導も行いました。
やがて60代になり隠居すると
藩で国学の師範を任され、
以降は藩内での国学振興に尽力しています。
川辺御楯の他の来歴
川辺御楯は日本青年絵画協会を立ち上げたり
日本美術院の特別賛助員ともなる邨田丹陵、
そして日本画の伝統的技法に
近代の西欧画のテイストを取り入れ、
文化勲章を受章した中村岳陵を育て上げています。
川辺御楯の深い教養は、後進の教育にも
大いに役に立つ事となりました。
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