日本画家の川端玉章は、1842年に京都の蒔絵師、
左兵衛の子として生まれました。
父から蒔絵を学びながら、11歳の時に
三井高喜の紹介で中島来章に入門しています。
さらに円山派の絵を学び、漢学、国学、画論を
小田海僊から学びました。
1866年に上京し新聞の付録画や
版下絵を描きながら生計を立て、1872年から
高橋由一、ワーグマンに油絵を習いました。
この年、三囲神社に納めた出世作の
「狐の嫁入り」扁額を描きます。
1877年には第一回内国勧業博覧会
「四時軍花図」を出品し、褒状を受けました。
36歳の頃には画塾天真堂を創設、
翌年には龍池会設立に従事します。
さらに39歳で深川に画塾「天眞舎」を開設しました。
そして翌年の第一回内国絵画共進会、
また1884年の第二回同会で、
共に銅賞を受賞しています。
その後、49歳の時には東京美術学校の教授となりました。
同年に、若い世代の画家たちによる
日本青年絵画協会設立の際には、
自宅を事務所に置くなどこれを援助し、
設立に尽力しました。
そして、1896年、54歳のときに
帝室技芸員に任命されています。
以後も1909年に東京小石川に川端画学校を開校し
指導するなど、後進の教育に務めました。
川端玉章は、花鳥山水、風景画を得意とし、
円山派の巧みな筆技で
とても高い技術を持っていました。
代表作には「四時ノ名勝」、「桃季園・独楽園」
などが挙げられますが、それらは円山派の伝統を重んじた
風雅をベースにしながら写実性を活かし、
軽妙なタッチで軽さ・洒落さも持ち合わせた、
奥行きが感じられる作品です。
伝統的な技術を守りながら
自身の表現も盛り込んだ才能溢れる、
確かな技術を持った作家でした。
川端玉章は京都円山派の伝統的な技法を基本とした
山水、花鳥の絵に、新しく西洋の画法も取り入れ、
写実的に奥行きのある絵を描いたことで
円山派最後の巨匠と評されています。
また、東京美術学校の教授を長らく務め、1898年には
日本美術院会員になると、文展の審査委員も
開設以来務めました。
美術学校の同僚だった橋本雅邦と
並んで評せられる画家であり、一方で
自身の川端画学校でも後進の育成に尽力し
優秀な弟子を輩出しています。
門下生には結城素明、平福百穂などがいました。
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