島崎藤村(本名は島崎春樹)は、1872年に長野県で生まれました。幼い頃から父に勉学を教わっており、10歳になる前に上京。進学予備校を経たのちは、1887年に明治学院普通部本科に進学しています。在学中にはキリスト教牧師であった木村熊二より洗礼を受けてキリスト教徒となり、卒業後は木村夫妻が設立した明治女学校で教壇に立ちました。またキリスト系文芸雑誌の『女学雑誌』に翻訳やエッセイを投稿するなど執筆活動も行いましたが、教師職の方は婚約者がいる生徒との恋愛が原因で早くに辞職し、自責の念からキリスト教も棄教しています。
1893年には親交を深めていた評論家の北村透谷と共に雑誌『文学界』の立ち上げに参加。島崎藤村は同人として同誌に作品を発表していきましたが、その後数年の間に母や北村透谷の死、また実兄の勾留など不幸が重なっています。この間、一時は仙台の学校で再び教鞭を執りますが、約一年ほどで東京に戻り、20代半ばの頃に最初の詩集『若菜集』を発表。近代日本浪漫主義を象徴する詩人として、徐々に名を広げていきました。また、まもなく小説などの散文も執筆するようになり、特に1906年の小説『破戒』を自費出版として出した事は、詩人から小説家への本格的な転機とされています。
やがて、一時フランスへ渡り、帰国後も執筆活動を続行。自身の経験や父を題材にした小説を発表したほか、1935年には日本ペンクラブ初代会長、1940年には帝国芸術院会員になるなど要職も務めました。
晩年は、フランスで目にした絵画から着想を得た『東方の門』を連載していましたが、完結せず、1943年に71歳で息を引き取っています。
島崎藤村は当初、近代日本浪漫主義の詩人として詩作品を発表していましたが、1906年には小説『破戒』を発表し、自然主義文学を代表する人物となった所に特徴があります。
自然主義文学として際立った作品は1910年に上巻発表の『家』。そのほか島崎藤村の代表作には、自身の父を題材とした『夜明け前』。そして1913年発表の童話集『眼鏡』などと言ったように、多岐に渡ります。
島崎藤村は女性との恋愛に長く苦しんでいた文学家でもあります。明治女学校で知り合った女生徒との恋愛。その後結婚した女性が亡くなってから、姪のこま子と関係を結ぶといった事もしています。
そういった背景も島崎藤村の小説には活かされており、告白小説と呼ばれる『新生』にも書かれています。
他の作品など
1898年発表の『一葉舟』と『夏草』(高知市民図書館近森文庫が所蔵)。
北野美術館が『破戒』の原稿を所有しています。
■女学雑誌
1885年に出版されました。女性解放思想を呼びかけ、島崎藤村の他には『小公子』を翻訳し、雑誌では鎌倉紀行文を載せた若松賤子(しずこ)。『黙歩七十年』などを手掛けた星野天知などがいます。
■破戒
島崎藤村の長編小説で、部落出身の男性がある出来事をきっかけに、周囲に隠していたのを辞めた事で差別が発生する、というあらすじです。
北村透谷含む当時の文学家達が求めていたものを形にした近代小説と言われており、夏目漱石も絶賛しています。
■北村透谷(きたむらとうこく)
詩人でもあり評論家でもあります。自由民権運動やキリスト教への入会の経験をし、また「恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり」の発言をし島崎藤村に強い感銘を与えました。日本近代詩の始祖と評価されており、1894年に自ら命を絶ちます。
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