山本陶秀は早熟の天才ながら長寿となった晩年まで
作品を作り上げてきた事で知られています。
ここではその来歴や作風などを紹介していきます。
山本陶秀は1906年4月に
岡山県備前市にて4男として生まれました。
陶芸家としては早熟で1921年15歳の時に
備前藩主の池田光政で有名な備前市最大の窯元
黄薇堂に入り作品を発表します。
そして27歳の時には独立しました。
1938年には作家集団「赤土社」のメンバーでもあり、
代表作「白磁四方花瓶」でも知られている
楠部弥弌に師事しています。
その後81歳となった時に
優れた備前焼の技術が認められ
人間国宝に認定されました。
そしてそれから7年後となる
1994年にこの世を去りました。
戦前から戦後まで駆け抜けた山本陶秀は
著名人との交流も有名です。
特に陶芸家でもあり、書家や画家、
料理研究家としての顔を持つ北大路魯山人。
日系人としてアメリカや日本の文化を受け継ぎ
作品を発表していった彫刻家の
イサム・ノグチらと親交があるのは有名です。
しかし山本陶秀も
戦争に利用された被害者の一人でもありました。
「ろくろの陶秀」や「ろくろの名手」など
通り名が付くほど有名だった山本陶秀は
その技術を軍に見込まれ
陶器製の手りゅう弾を作らされたこともありました。
山本陶秀の作品の特徴はやはり
「ろくろの陶秀」や「ろくろの名手」と言った
通称に隠されています。
謂れはろくろを作る技術も高い事ながら
繊細さも併せ持っている点です。
神業と呼ばれ
また他の追随を許さないとも言われています。
その為か素朴な雰囲気の作品が多い事で
知られている備前焼ですが
山本陶秀はまるで高位の人間のように誇り高く、
また色気もある作品を作りあげています。
代表作は備前急須です。
作品には三角形の「マ」の印が
付いていることもありますが
この印は山本陶秀の作品としては中期頃となります。
またその作品は備前焼として
初めて人間国宝に認定された、
金重陶陽の影響を受けていると言われています。
そして氏の温かな作風は海外からの評価も高く
スペイン国王と王妃へ花瓶を奉った事も有名です。
山本陶秀は金重陶陽や藤原啓と共に
戦後の備前焼を支えた
『備前三人衆』と言われています。
中でも山本陶秀が理想としていたのは
「桃山備前」の通称のある安土・桃山時代の茶陶です。
80歳の時には
その技術は頂点を極めたと言われており
人間国宝に認定されたのもその翌年にあたります。
しかしそれでも山本は
備前焼に対して新しい視点を持ち続け
その遺伝子は同じ陶芸家の道に入った
息子の山本出に引き継がれる事となりました。
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