山本豊市(やまもととよいち)
山本豊市は1899年10月に
東京都新宿で生まれました。
その後18歳の時には、荻原守衛と繋がりがあり
日本美術院展覧会の代表的存在の一人である
戸張孤雁から教わります。
その翌年には太平洋画会研究所へ入り
1921年の第8回再興院展における
『胴』の初入選を契機に、その活躍が
目立つようになりました。
やがて1924年からフランスに留学し
目に障害を抱えながら作品を作り続けた
マイヨールから学ぶ事となります。
約4年間の滞在を終えて日本に帰ると
乾漆技法を人体の造形に取り入れた作品を発表。
またフランスでの留学は
オーギュスト・ロダンの影響を
強く受け継ぐ事にも繋りました。
1930年からは日本大学で講師として務め
1953年には東京芸術大学の教授の職にも就いています。
80代の頃には文化功労者や勲三等瑞宝章を受章し
1987年2月、88歳で息を引き取りました。
オーギュスト・ロダンについて
1840年生まれの彫刻家。
『考える人』が知られています。
当時の彫刻に躍動感を与えたと言う事で
革命を起こしましたが、中には批判も多く
実際はそうでないのにも関わらず
「生身の人間から型を取ったのでは?」とも
言われるほどだったと言われています。
それでもオーギュスト・ロダンとしては
モデルの内面性を代言するという信念を崩さず、
現在は「近代彫刻の父」とも
呼ばれるようになりました。
山本豊市の他に萩原守衛や高村光太郎など
日本国内においても数多くの彫刻家に
影響を与えています。
乾漆
乾漆は漆と砥の粉を練り合わせ、
麻の布を張り重ねて作ってゆく
日本独特の伝統技法です。
よって木を用いるのと比べると
自由に作りやすいと言った特徴があります。
山本豊市が乾漆による作品を作った背景としては
石膏やブロンズと言った
彫刻の材料があまりなかった事。
また1932年に奈良や京都に旅をして乾漆を用いた仏像を
目にしたことをきっかけに乾漆を研究した事で、
その作品作りに取り組みました。
乾漆作品による初期の代表作としては
1936年の第1回改組帝国美術院展覧会に出した
『岩戸神楽』があります。
積極的に研究し作品を発表した山本豊市
山本豊市は太平洋画会研究所に入る他に
1950年に新樹会に入ったり、1961年に
SAS (彫刻家集団) のメンバーになったりしています。
また山本豊市の手掛けたデッサンも見つかっています。
自身が学んできたものを、積極的に作品として
発表しようとした姿勢が伺えます。