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掛け軸・絵画
2020/10/15

山本芳翠とは【経歴/洋画家/岐阜県/作品/評価】

山本芳翠の生い立ちは?

山本芳翠は18507月に美濃で生まれました。なお本名は為之助といいます。早くから絵に強い興味をもち、10才になる頃には数多くの模写を行っていたと言われていますが、画家となることを目指す決定的なきっかけになったのは、葛飾北斎の素描をまとめた『北斎漫画』を知ったためだと言われています。

その後1865年頃からは京都で南画家・久保田雪江から南画について教わり、4年後、1869年には横浜で五姓田芳柳が開く画塾で学ぶようになりました。なお横浜に住んだのは南画をさらに学ぶためなのですが、五姓田芳柳の作品を見たことで、画家の中でも特に洋画家に転身しようと考え、洋画についての知識を深めていきます。並行して画家としての仕事もこなし、25歳の頃には肖像画家としてその名を知られるようにまでなっていました。

 

しかし、山本芳翠の洋画を学ぶ姿勢は徹底しており、1876年には工芸美術学校に入り、今度はアントニオ・フォンタネージから指導を受けます。翌年には同校を退学していますが、同年に第1回内国勧業博覧会で発表した『勾当内侍月詠図』が花紋賞を獲得。同作は宮内省の購入作品となりました。

そして1878年、今度はパリ万国博事務局に雇われる形で、フランスの美術学校・エコール・デ・ボザールにて学び、画家のジャン・レオン・ジェロームから技法について教えを受けます。10年近く現地に滞在し、帰国後には画塾・生巧館画学校を、1889年には同志と共に明治美術会を立ち上げました。以降、一時は従軍し日清戦争に赴きますが無事戻り、白馬会に参加。晩年は舞台装置の制作なども行っています。

 

そして1906年、56歳で息を引き取りました。

 

 

 

山本芳翠の作品の特徴は?

山本芳翠は歴史風俗画に優れており、またフランスにて学んだ学術的な作風も持ち味です。

その中でもフランスの優雅かつ軽やかなロココ美術や、新古典主義を感じさせると言われています。

 

 

 

山本芳翠の他の評価部分は?

山本芳翠は「日本洋画の父」と言った評判も獲得しており、フランス留学から日本に帰った際はフランス的技法を学べる生巧館を立ち上げました。また、明治美術会も後進指導に大いに関わっているのです。

しかし、残念ながら留学時代後半に、日本を発展させるため模写を積極的に行っていたのですが、それらの作品は帰国時の舟のトラブルで失われてしまいました。

他には舞台劇の背景を早くから描いたりなど、日清戦争や日露戦争時に記録画家として活動した経緯もあります。

 

代表作

 

1880年に『裸婦図』(岐阜県美術館が所蔵)。

1882年に制作の『西洋婦人像』(東京芸術大学が所蔵)。

他に『十二支』などがあります。

 

 

 

各ワード紹介

■風俗画について

風俗画は人々の生活を描いた作品です。西洋画と言えば神話的題材や歴史的場面を描いたものを想像される方も多いと思いますが、欧州エリアでは16世紀から発展しだしたと言われています。

 

■山本芳翠の十二支

帰国した山本芳翠が描いた一連の作品群です。十二支に合わせた物語及び神話を、主に女性を主役にして描いていたものです。

 

 

 

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