山崎朝雲は1867年に福岡県博多にて生まれました。
実家は陶工を営んでいましたが、山崎は17歳の頃より
聖福寺の山門の羅漢像を手掛けた仏師、
高田又四郎から教えを受けます。
やがて20代半ばの時に京都に上京し、
第4回内国勧業博覧会で養老の孝子を出品しました。
これが近代彫刻の礎を築く高村光雲に認められ
2年間氏のもとで教わることとなっています。
40歳のときには島根県を代表する米原雲海、
岡山県出身の平櫛田中(両人とも山崎朝雲と
同じように高村光雲から教わっています)達と共に、
日本彫刻会を立ち上げ、
文展では審査員なども勤めました。
これらの功績が認められ、1934年、67歳のときには
帝室技芸員に任命されています。
そのほか代表作としては
明の封冊や大葉子などがあります。
山崎朝雲は学んできた伝統的木彫技術を活かしながらも、
モチーフの内面性を
深く掘り起こしたような作風が特徴となっています。
この作風は新風を与えたと言われているほどで、
1908年の第2回文展において出展した寒山子は、
女性の豊かな肉体と
それを包み込むような衣紋の見事な流感具合が、
今までにはなかった彫刻として
大きな衝撃を与えています。
日本彫刻会は美術行政家でもあり
思想家でもある岡倉天心を会頭としています。
岡倉天心は他に鑑画会を結成したり、
東美校の校長を勤めたり、
また美術調査のために海外に渡っているなど
後世に日本美術が残るように奔走しました。
日本彫刻会は初の彫刻団体と言われていますが、
立ち上げた1907年は明治維新や文明開化など
西洋文化の波が押し寄せていた時期でもあります。
それまで大切にしてきた日本文化が
急に廃れる時代でもあり
このままだと伝統的な彫刻美術も
破棄されるどころか創られない事も考えられる状況の中
立ち上げたのは必然的と言えます。
岡倉天心が亡くなった後も
日本彫刻会の面々は積極的に作品を発表し、
今日まで伝わる形となりました。
山崎朝雲は1940年、紀元2600年奉祝記念秋季展の為に
倭乙女を制作しました。
他には1914年の同級生の弔辞や、
打毬楽などを展示しています。
新風を巻き起こしたといわれる山崎朝雲の作品ですが
題材は真新しいと言うより、
古くからあるものを扱っている事が多く
懐古的とも言えます。
しかしそれらは新しいアプローチで
日本の文化や歴史などを伝え、
それらが永久に残って欲しい
という思いから来ていると考えられます。
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