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2019.04.04
骨董品

山口蓬春【文化勲章/日本画】

山口蓬春(やまぐちほうしゅん)

 

山口蓬春は、1893年に北海道に生まれました。

 

1903年に上京し、中学校の頃から

 

白馬会研究所で洋画を学び始めます。

 

22歳になると東京美術学校西洋学科に入学し

 

二科会で2回の入選を果たしました。

 

やがて25歳のときには日本画科に転科し

 

首席で卒業しています。

 

そして翌年には『秋二題』が

 

早くも帝展初入選を果たしました。

 

その後、松岡映丘が主宰していた新興大和絵会に参加し

 

1926年の第7回帝展に

 

『三熊野の那智の御山』を出品して帝展特選、

 

帝国美術院賞を受賞し宮内庁の買上げ作品となり、

 

輝かしい画壇デビューを果たしました。

 

以降は、新しい日本画の創造を目指し、

 

帝展から離れて創作活動に励みます。

 

そして1930年に中村岳陵、木村荘八、福田平八郎、

 

中村紀元らと「六潮会」を結成し、

 

日本画家、洋画家、美術評論家などの人達と交流を持ち

 

その独自の画風を確立していきます。

 

この頃に戦前の代表作である『市場』を発表しました。

 

戦後は、新日本画への志向がさらに強くなり

 

ブラックやマティスなどの近代絵画の要素を取り入れ、

 

知的でモダンなスタイルに傾倒していきます。

 

日展を中心にした創作活動を続けて『夏の印象』などの

 

明るく清廉な作品を発表しました。

 

その後は、写実表現に移り『枇杷』などを発表、

 

後には清廉で格調ある画境を展開し

 

『紫陽花』などを制作し、1965年

 

72歳のときに文化勲章を受章しました。

 

 

 

山口蓬春の作品の特徴と技法

 

山口蓬春は、六潮会の10年程の活動中には

 

流派を超えた交流で研鑽していましたが、

 

六潮会を辞めたのちは、次第に自身で古典の模写や

 

新しい日本画の創造に没頭していきました。

 

そして、大和絵の古典的な形式を取り払い、

 

写実的に自然を捉えた大胆な構図の作品を

 

発表していくことになります。

 

『松原図』や『市場』などで

 

徹底的な自然観照の姿勢を貫き、

 

やがて西欧美術的な豪奢な表現を

 

省略や強調の手法も交えて

 

新しい日本画へと昇華し、「蓬春モダニズム」

 

を確立していきました。

 

その後もさらにその画風を追求していき

 

独自の造形感覚と感性で、

 

独特の世界を創りだしています。

 

 

 

山口蓬春の評価される所以

 

西洋画や大和絵から出発した山口蓬春が

 

その独自の画風で築き上げた新日本画の最終到達点は

 

和洋の融和でした。

 

洗練された構図と色使いは

 

近代的な明るさに満ち溢れ

 

独自の日本画の境地に至っています。