尾崎紅葉(おざきこうよう)は1868年12月に東京で生まれました。なお本名は尾崎徳太郎と言います。幼い頃から勉強熱心で、15歳の頃に東大予備門へ入ると多くの詩作をするなどして文学へも関心を寄せていきます。その後1885年には山田美妙と石橋思案、丸岡九華と共に文学結社・硯友社を設立。同年に硯友社から雑誌・我楽多文庫を発表し、明治時代の中の文壇において我楽多文庫は大きな存在感を放っていきました。
2年後の1887年には、小説『二人比丘尼色懺悔』を発表し、尾崎紅葉自体の名を知らしめるきっかけとなります。さらにその出世作を出した同年には読売新聞社に入り、話し言葉で書かれた『多情多恨』や『金色夜叉』などを載せて読売新聞社の人気を支えました。
しかしその生涯は早くで閉じる事となり、1903年10月、35歳の若さで息を引き取っています。
尾崎紅葉は小説作品の中で口語文体を取り入れ、井原西鶴に影響を受けた写実的な書き方で、社会面でも心理的にも、女性が辿る悲しい出来事を綴っているのが特徴です。
ストーリー的には花柳界や妾なども作品中には描いており、言わば昼ドラ的展開とも言えるかもしれません。なお口語文体を取り入れる方法は、他に二葉亭四迷や山田美妙も行っており、当時の近代文壇として形作られています。
尾崎紅葉は後進の作家の指導を行っている事でも知られています。
例えば『夜行巡査』や『義血きょう血』などが知られている泉鏡花は、尾崎紅葉の小説を手にしたことで、作家になる事を決意し1891年に住み込みとして弟子入りしました。また『青春』や『世間師』などが有名な自然主義作家の小栗風葉は1892年に弟子入りとなりました。他には『生さぬ仲』や『錦木』などを手掛けた柳川春葉。『黴』や『あらくれ』などを発表した徳田秋声もいて、これらは紅葉門下の四天王と呼ばれています。
なお『金色夜叉』は尾崎紅葉が病気で倒れたために未完となり、引き継ぎを小栗風葉が行っています。
他の代表作
1890年発表の『伽羅枕』や『三人妻』などがあります。
■硯友社
巌谷小波や江見水蔭などを有する団体としても機能しましたが、途中から尾崎紅葉の後進を育てる場として動き前述の紅葉門下の四天王が加わるようになりました。
近代的描写と江戸戯作文学が合わさった作風を展開する場でもあり、ピークは1887年から1897年までとされてまいす。
■二人比丘尼色懺悔(ににんびくにいろざんげ)
尾崎紅葉自ら「作品は主に涙を浮かべた目で読むこととなる」と語ったほどの作品で、実際に名前を世に知らしめる事となります。
同じ男を愛した2人の尼の過去話が展開されていきます。
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