小野竹喬は、1889年に岡山県笠岡市に生まれました。
笠岡小学校高等科を卒業後、14歳の時に京都に移り
日本画家の竹内栖鳳に師事しています。
その後、18歳で第1回文展に出品した
『山家の春』が初入選し、2年後の1909年
京都市立絵画専門学校に入学しました。
在学中は新たな日本画の創造について
詮索していたといいます。
卒業後は27歳のときに第10回文展に出品した
『島二作』が特選を受賞。
その後同級生であった村上華岳、土田麦僊らと共に
「国画創作協会」を結成し、
日本画革新を目指しました。
そして、1921年には土田麦僊、黒田重太郎、
野長瀬晩花らと共に渡欧し、パリ、イタリア、
スペイン、イギリスなどヨーロッパ各地を周遊して
翌年には帰国します。
50代後半の頃には京都市美術専門学校の
教授に任命されたと共に、日本芸術院の会員となり
日本画壇の重鎮として戦後も活躍しました。
そして、1968年に文化功労者、1976年、87歳のときに
文化勲章を受章しています。
小野竹喬は日本の自然の美しさを
生涯かけて描き続けましたが、
初期の頃は西洋画からの影響が大きく
大胆な筆致と鮮やかな色彩感覚を活かした作風を
示しています。
しかし、やがて日本画の素材や手法では限界を感じ
渡欧し、この頃から東洋画の線による表現を再認識して
江戸時代の南画の研究を始めています。
この間の作品には『冬日帖』などがあり
西洋を意識しながらも線描と淡彩による
南画風の作風を確立しました。
やがて戦後の作風は面的な対象把握、
大和絵的な表現に変化していき
日本の自然の移ろいを温かみのある彩りで
詩情豊かに表現しています。
代表作に『奥の細道句妙絵』などがあり
色彩画家としての独自の世界を確立しました。
また晩年には、墨彩画への挑戦もみせています。
小野竹喬の風景画作品には、微細な光の変化や
空気感に包まれた、日本の四季の自然の
かすかな移ろいが表現されています。
清澄な画面に自然の一瞬を切り取り、
自然の息遣いや香りを捉えてその循環、
普遍性を感じさせる作品で高い評価を受けました。
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