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小泉八雲(こいずみやくも)は1850年6月にギリシャで生まれました。なお元々の名前はパトリック・ラフカディオ・ハーンと言います。幼い頃に両親が離婚し、小泉八雲は大叔母に育てられ、学生時代はイギリスとフランスで過ごしました。その後、1869年にはアメリカに渡り、記者として活躍。20代から30代にかけては諸外国を転々としながら事件から文芸まで幅広い記事を執筆し、高い評価を得ていきます。そして1890年には、出版社の通信員として日本に訪れました。当初の目的は通信員でしたが、来日して間もなくアメリカの出版社を退社。同年には島根県松江中学の英語の先生となり、次の年には面倒を見てくれていた小泉節子と結婚を果たします。
以降は本格的に日本国内に腰を据えるかたちとなり、46歳の時に日本の国籍を取得。この時から小泉八雲と名を改め、また住まいも九州から東京へと転居しました。
上京後は東京帝国大学文科大学講師として務め、英文学史や詩人論、詩論などを教えていきます。約7年の間、同校の教壇に立ち、並行して“日本お伽話シリーズ”を始めとした著書を出版。大学講師退任後も出版は続きましたが、翌年となる1904年、息を引き取りました。
小泉八雲は外国の出身でありながらも、日本人として生活をする目線で感じた日本を海外に紹介し、また日本に伝わる話しをまとめた『怪談』を発表したことが特徴です。他には翻訳や再話文学、紀行文など多くの内容を書いています。
また『怪談』は実際に子供の頃から人から話を聞くのが好きだった小泉節子が、日本の各地の話しを大人達から聞いて、それを小泉八雲に伝えたものでもあります。なお同作は1904年にアメリカにて、『KWAIDAN』と言う原題で発表されました。
そのほか来日して最初に発表した全2巻の『日本瞥見記』は、1894年に原題『Glimpses of unfamiliar Japan』の名でアメリカにて発売され、小泉八雲の視点で日本について語られています。
このようにして小泉八雲は日本を愛し、海外に向けてその精神性も含めて発信していきました。
小泉八雲は他に熊本や神戸に移り住んでいると言ったように、諸外国だけでなく日本各地も転々としています。
また性格的に愛されている側面があり、松江中学の英語教師時代には周囲から「へるん先生」と親しまれていたといいます。
そして島根にいた頃、半年間使用していた住居は、現在も国指定史跡と認定されています。
他の代表作
1896年に発表した『心』は、『ある保守主義者』や『停車場にて』など、小泉八雲自身のエッセイや小説など15編分の作品をまとめた本です。日清戦争の時代背景に、将来を見据えた内容と指摘されています。
他には1897年の『仏の畑の落穂』や、1898年に出した『異国情緒と回顧』などがあります。
■再話文学
古くから伝わっている伝奇的な話しなどを、子供に向けて伝わりやすいように作り直したものです。グリム童話も再話文学にあたります。
■小泉節子
1868年に松江藩士の娘として生まれました。真っ直ぐな性格なために他人とのぶつかりも珍しくなかった小泉八雲を支え、小泉八雲のことを綴ったエッセイも出しています。
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