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2019.07.18
骨董品

小川松民【工芸作家/漆芸】

小川松民(おがわしょうみん)

 

小川松民は1847年6月に、江戸日本橋の

 

金具師業の子供として生まれます。

 

その後16歳の時に武蔵葛飾郡出身で

 

江戸時代末期に活躍した中山胡民から

 

蒔絵を教わりました。

 

また、1873年には江戸琳派で

 

鈴木其一と並ぶ存在と称された池田孤村から

 

画の技術を習得します。

 

この間にも小川松民自身は古典蒔絵の研究を続け

 

当時の作品の複写を行うなど、

 

熱心な研究を続けました。

 

やがて30代の頃には

 

アメリカ・フィラデルフィア万国博覧会に出展。

 

そのほか第1回内国勧業博覧会博において

 

龍紋賞牌を獲得するなどし、

 

世界にその名を広めていきます。

 

この背景には明治期の復古国粋主義の影響で

 

小川の制作していた歌絵模様の蒔絵が海外に向けての

 

大きなアピールになった事も考えられます。

 

さらに小川松民は後進の育成にも積極的で

 

東京美術学校に教授としても勤めました。

 

そして1891年5月にこの世を去ります。

 

代表作は『布引滝蒔絵硯箱』や

 

『熨斗若松蒔絵盆』などがあります。

 

 

 

■歌絵模様

 

和歌について描かれている絵で

 

平安時代に多く生まれました。

 

 

■国粋主義

 

自身の国の文化や伝統を

 

外国のそれが押し寄せてくる中、守るべき

 

と言った考えが、他国よりも優れているから

 

他国の文化や伝統を排除して普及させていこう

 

と言う思考に派生したものです。

 

とは言え小川松民の場合は

 

そこまで考えに影響を受けていないので

 

アメリカ・フィラデルフィア万国博覧会や

 

内国勧業博覧会博と言った海外に向けての

 

アピールの場に出品していたと考えられます。

 

 

■内国勧業博覧会博

 

1877年に東京上野から始まり

 

1902年まで合計5回開催された国家事業です。

 

 

 

歴史を学びながら海外にアピールした小川松民

 

小川松民は蒔絵などの古い歴史を学びながら

 

変わりゆく国の文化について肌身で感じていた

 

に違いありません。

 

その分日本人らしさと言うのを

 

アメリカ・フィラデルフィア万国博覧会や

 

内国勧業博覧会博を通して

 

伝えていきたかったのかもしれません。