小川松民は1847年6月に、江戸日本橋の
金具師業の子供として生まれます。
その後16歳の時に武蔵葛飾郡出身で
江戸時代末期に活躍した中山胡民から
蒔絵を教わりました。
また、1873年には江戸琳派で
鈴木其一と並ぶ存在と称された池田孤村から
画の技術を習得します。
この間にも小川松民自身は古典蒔絵の研究を続け
当時の作品の複写を行うなど、
熱心な研究を続けました。
やがて30代の頃には
アメリカ・フィラデルフィア万国博覧会に出展。
そのほか第1回内国勧業博覧会博において
龍紋賞牌を獲得するなどし、
世界にその名を広めていきます。
この背景には明治期の復古国粋主義の影響で
小川の制作していた歌絵模様の蒔絵が海外に向けての
大きなアピールになった事も考えられます。
さらに小川松民は後進の育成にも積極的で
東京美術学校に教授としても勤めました。
そして1891年5月にこの世を去ります。
代表作は『布引滝蒔絵硯箱』や
『熨斗若松蒔絵盆』などがあります。
■歌絵模様
和歌について描かれている絵で
平安時代に多く生まれました。
■国粋主義
自身の国の文化や伝統を
外国のそれが押し寄せてくる中、守るべき
と言った考えが、他国よりも優れているから
他国の文化や伝統を排除して普及させていこう
と言う思考に派生したものです。
とは言え小川松民の場合は
そこまで考えに影響を受けていないので
アメリカ・フィラデルフィア万国博覧会や
内国勧業博覧会博と言った海外に向けての
アピールの場に出品していたと考えられます。
■内国勧業博覧会博
1877年に東京上野から始まり
1902年まで合計5回開催された国家事業です。
小川松民は蒔絵などの古い歴史を学びながら
変わりゆく国の文化について肌身で感じていた
に違いありません。
その分日本人らしさと言うのを
アメリカ・フィラデルフィア万国博覧会や
内国勧業博覧会博を通して
伝えていきたかったのかもしれません。